1975年、地理研究会の研修旅行先で(写真:『陛下、今日は何を話しましょう』(すばる舎)より)

後年の1993年に、私が『ぼくの見た皇太子殿下』という本を出す際、陛下は原稿に目を通して助言をくださったのですが、その時“じぃ”のいわれも教えてくださいました。中等科の時、盆栽を見て「いい枝振りですね」と言ったところ、友人たちから「じじくさい」と、そのあだ名がついた、と。

そんなふうにフランクに呼ばれることが嬉しかったようで、中等科の謝恩会では“じぃ”にちなんでバッハの「G線上のアリア」を演奏なさったとか。ご公務の時はとても真面目なご様子ですが、このように普段はウィットに富んだお人柄なのです。

約1年間の留学が終わり、私がオーストラリアに帰国してからは、陛下と英語で文通をするようになりました。私宛てに「安土留宇様」と書いてくださるなど、いつもユーモアと親愛の情に溢れたお手紙でしたね。

 

家族ぐるみの交流に

私は日本についてもっと知りたくなり、帰国して1年後、東京外国語大学に進学。友人として御所に上がり、英語の話し相手となりました。陛下は英語にとても興味をお持ちのご様子で、早く習得なさりたかったのでしょう。月に1、2回は伺っていました。

御所に上がると、ご一家の雰囲気がとても温かい。普通のご家庭という表現がふさわしいかどうかわかりませんが、本当に仲のいいご家族で、この中で育ってこられたからこそ、陛下の温かいお人柄が培われたのだろうと感じました。