美智子さまが示してくれた「これからの女性」の姿

私は2歳半で映画デビューし、「天才子役」などともてはやされてきましたが、母はしつけに厳しくて、どんなに疲れていても、毎日家事の手伝いをさせられました。おかげで23歳で結婚したその日から、家事についてはまったく困りませんでしたよ。昭和ヒトケタ生まれは、「妻たるものはこれくらいやって当然」という考え方ですからね。

私は、結婚したら仕事はやめるつもりでいたのです。ところが神津は、「これからの女性は結婚・出産後も仕事を続けるべき」という考え。「そういう人と結婚したいから、あなたを選んだ。容姿で選んだわけじゃない」とよくわからない説得をされて(笑)、やむなく仕事を続けることに。

結婚前は生放送ばかり20本以上あったレギュラーを半分以下に減らしたとはいえ、家庭との両立は本当に大変でした。結婚1年で長女(作家の神津カンナさん)、その4年後に次女(女優の神津はづきさん)、さらに10年後に長男(画家の神津善之介さん)を出産。同居した姑のお世話もありました。また神津は夕飯を必ず家で食べる人なので、今も沖縄だろうが北海道だろうが、仕事はすべて日帰りです。

私のような仕事と、皇族のご公務を一緒に考えるのはおこがましいことかもしれません。でも、年齢も、結婚や出産の時期も近い美智子さまが、妻として皇太子殿下を支え、お子さまたちを立派に育てながら、しかも大変なお役目を果たしていらっしゃる姿に何度も励まされました。「私もがんばらなくちゃ」と。

数年前に仕事で、浩宮さまと直接にお話しする機会がありました。本当に穏やかで、笑顔を絶やさない本物のジェントルマン。お忙しいなかでもしっかりとお子さまに向きあってこられた美智子さまの教えの賜(たまもの)なのだろうと、改めて尊敬の念がこみあげたものです。ですから平成15年に美智子さまがご体調をくずされ、声が出なくなられたときは、私も倒れそうになるくらいショックを受けました。