「のこの魂が生まれ変わるかもしれないよ」
長生きの亀といえども、ここ数年は老いが忍び寄ってきていた。ひっくり返っても起きあがれない。若い時は首を伸ばして自力で戻っていたのに、そのまま助けを待っている。腕のつけ根は赤く、皮膚病にかかりやすくなった。甲羅はつやがなくなり苔が生える。代謝が落ちているのがわかった。それでも生き続けるような気がしていた。長女が結婚して家を出る時、のこを連れて行くという夢があったのだ。
のこが亡くなった年末、入院していた姑が持ち直した。夫は悪気なく言った。
「のこはおふくろの身代わりになったのかな」
長女は大泣きして怒った。
「ばあちゃんより、のこに生きてほしかった」
姑は意地悪ばあさんで、私にはもちろん、孫たちにも嫌われていた。のこの死で、人間よりも動物の命のほうが大切に感じることもあると知った。ペット霊園で供養する人たちの気持ちもわかる。
のこが死んだ翌日はクリスマスイヴ。早朝から、長女はかけつけてくれた友だちと一緒に3時間近くかけて、庭に深さ50センチほどの穴を掘った。カラスや猫にのこが食べられないように深く。のこが子亀の頃から甲羅干しに愛用していた石を墓標にした。
今ものこを想う時、この石を見る。氷点下の夜には、のこが凍えていないかと気になるのだ。長女も毎日眺めている。のこが亡くなってから1ヵ月近く経つが、まだ悲しい。
うちにはもう1匹、のこの奥さんにと6年前から飼い始めた“ちびのこ”がいる。残念なことに後にオスと判明したが……。のこの分まで大切に育てようと、亀用のヒーターを買い直した。のこももっと手厚く面倒をみていればまだ生きられたかもしれない、と自分を責めてしまう。
人間の年齢にしたら約95歳の大往生。それでももっと生きていてほしかった。
母にのこの死を話すと、
「こんなにかわいがられて幸せな亀だよ」
と、なぐさめてくれた。
「のこの魂が生まれ変わるかもしれないよ。いつか……たとえば長女の子とか」
「そしたら、ぐうたらでのんびりした子だね」
のこに会えるかもしれないと思い、また泣いてしまった。センチメンタルと笑われるかもしれない。でもそういうものにすがりつきたいほど、つらかったのだ。少しでも明るくなれれば、それでいい。悲しみは時が解決するというが、忘れることはないと思う。
母、私、子どもたちと3世代でのこと暮らせて幸せだった。今いるちびのこが、のこくらい生きれば私は70歳。一所懸命かわいがろう。
手のひらくらいの大きさのちびのこの甲羅を、歯ブラシで洗う。かつての小さいのこがそこにいた。首を伸ばして私をじっと見つめるのも、のこそっくり。身代わり扱いで申し訳なく思う。複雑な心でちびのこを飼い続ける。亀の悲しみは亀で癒やすしかないのかもしれない。私は、しばらくは割り切れない思いを抱えて生きていくのだろう。
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