上 通りには、現在も18棟ものうだつの上がった家が残り、江戸時代の和紙商人の隆盛を今に伝えている。
左下 江戸時代、交易の中心だった上有知湊の川湊灯台。
右下 1300年以上の歴史と伝統を誇る美濃和紙。良質な楮(こうぞ)の樹皮と清らかな水、人々の知恵と工夫によって生まれた。
朝8時過ぎ。少年が風情ある静かな町並みを駆けていく。ここは、岐阜県美濃市。重要伝統的建造物群保存地区「うだつの上がる町並み」の一角だ。東西二筋の街路と、それを南北方向に繫ぐ四筋の横町からなり、ちょうど「目」の字の形をしている。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦での功績により徳川家康からこの地を拝領した金森長近が小倉山城を築くのにあわせて城下町が造られ、長良川畔には上有知湊(こうづちみなと)が開かれた。小倉山城が廃されたあとも、上有知は水運を活かした商人のまちとして繁栄する。それを支えたのが、美しく強くしなやかな美濃和紙だった。本来は防火壁であるうだつを富の象徴として競うように築き、今の風景を生んだのは和紙商人だ。明治44(1911)年、上有知町は美濃和紙にちなみ美濃町と改名、昭和29(1954)年に市になった。
この地で生まれ育った古川紙工株式会社会長の古川浩二さん(77歳)はこう話す。
「うだつの上がる町並みには、まちを守り発展させていくための知恵と工夫と町人たちの《粋》がちりばめられている。時代に沿った美濃和紙の在り方を模索しながら、このまちの歴史と伝統を後世に残していきたいですね」
●交通:「うだつの上がる町並み」 へは、長良川鉄道美濃市駅下車徒歩約10分
●お問い合わせ先:美濃市観光案内所「番屋」 TEL 0575-29-8008
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