まちと共に生きる -美しい城下町を訪ねて-

横馬場通りとも呼ばれる武家屋敷通り、飫肥城大手門、鯉が遊泳する掘割の画像

上 横馬場通りとも呼ばれる武家屋敷通り。現在の飫肥の地割は承応2(1653)年頃の城下絵図とほぼ一致するという。

左下 昭和53(1978)年に復元された飫肥城大手門。柱や梁に樹齢100年以上の飫肥杉を使用し、釘を使わずに建てられた。

右下 鯉が遊泳する掘割が続く後町通り。

今も続く和紙商人の”粋”・岐阜県美濃市

江戸風情を色濃く残し、その美しさから「九州の小京都」とも称される宮崎県日南市飫肥(おび)。武家屋敷通りで静けさの中に佇んでいると、タイムスリップしたような錯覚を起こしてしまう。郵便配達のバイクが一軒一軒住宅を回る様子からは、ここが歴史的な場所というだけではなく、今も人々に住み継がれている生きた町であることが伝わってくる。

天正15(1587)年に初代藩主・伊東祐兵(すけたけ)が、九州征伐の際の功績により豊臣秀吉から飫肥城を与えられ、以後約280年間14代にわたり飫肥は伊東家5万1千石の城下町として栄えた。昭和52(1977)年には、武家屋敷通り、大手門通り、後町(うしろまち)通りなど7街路を含む19・8haが九州初の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた。城跡には飫肥小学校があり、朝夕の登下校の時間帯、大手門周辺は子どもたちの元気な挨拶や笑い声に包まれる。飫肥城下町保存会の外山律子さん(61歳)も飫肥小学校の卒業生のひとりだ。

「毎日お城に通学していました(笑)。石垣の上を飛び回るなど、遊び場でしたから、お城は身近な存在で、城下町の風景も当たり前。お城や武家屋敷の石垣は、私たちにとっては生活の一部なんですよ」

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インフォメーション

●交通:飫肥城下町の武家屋敷通りへは、JR日南線飫肥駅下車徒歩約15分。
●お問い合わせ先:日南市観光協会 TEL 0987-31-1134

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