まちと共に生きる -美しい城下町を訪ねて-

横馬場通りとも呼ばれる武家屋敷通り、飫肥城大手門、鯉が遊泳する掘割の画像

上 薩摩武士が行き交った武家屋敷通り。緑豊かなこの地域全体がまるで母ヶ岳に抱かれた大きな庭園のようだ。

左下 安政年間に下級武士の内職として考えられたと伝わる知覧傘提灯。

右下 池泉式の森重堅邸庭園。曲線に富んだ池、奇岩怪石を用いて山や半島、洞窟を表現。

今も続く和紙商人の”粋”・岐阜県美濃市

鹿児島県南九州市知覧町の武家屋敷通り。重厚な石垣と生け垣に沿って約700mの曲折ある道が続く。元和元(1615)年、江戸幕府による「一国一城令」を受け、薩摩藩は鶴丸城を中心に領内に100以上の外城(とじよう)を置いた。外城とは、旧城の周辺に在郷武士の集落である麓(ふもと)を造り「人をもって城とする」もの。知覧武家屋敷群は薩摩の麓の典型的な作例であり景観にも優れているとして、昭和56(1981)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。今見られるのは、領主・佐多氏18代島津久峯(ひさたか)の時代(約270年前)の区割りの名残だ。

「薩摩の小京都」と称される通りには国に名勝指定された七つの武家屋敷庭園が並ぶ。その一つ森重堅(しげみつ)邸庭園を受け継ぐ森家18代当主森重忠さん(68歳は)、「子どもの頃は、この道で鬼ごっこや缶蹴りをして遊びました。知覧は垣根の風景が命。文化とも言えるこの景観を何としても未来に繫ぎたい」と話す。原動力になるのは「訪れた人に喜んでいただくこと」。薩摩武士は屋敷や庭の随所にもてなしの工夫を凝らしたが、他者を思いやる美学は、今も子孫たちの中に生きている。通りは今日も凜とした佇まいで、人々の目を楽しませている。

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インフォメーション

●交通:知覧武家屋敷通りへは、JR指宿枕崎線平川駅より知覧行きバス武家屋敷入口で下車。
●お問い合わせ先:知覧武家屋敷庭園
有限責任事業組合 TEL 0993-58-7878

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