自分に酔っている姿は見せたくない

私はこれまでとにかく周囲の人に恵まれてきました。笑顔でいることも多いので、幸せそうと言われます。本当にそうなのでそれで良かった。真に辛い経験をしたハングリー精神を持つ人の演奏というのも素晴らしいのかもしれませんが、私には私の音があります。

アルゲリッチやポリーニなど巨匠の代打を頼まれることですごいと言われますが、アルゲリッチの席でもアルゲリッチのように弾くわけではありません。スカラ座など歴史あるホールに立つことも増えてきましたが、それまでの歴史が私の演奏を助けてくれる訳ではない。楽譜を読み込み、真摯に音と向き合うのはどんな空間にいても変わらないことです。このホールに立つとかこの指揮者やオーケストラに招かれたとか、何かの名声に酔いしれている姿を披露することがないように自戒しています。

スカラ座で客席に挨拶 ©Filarmonica della Scala G.Hanninen

そして演奏の時には、自分の思いを込めすぎないようにと心がけています。演奏者は作曲家の書いた物語の良き橋渡し役でありたいと思うからです。私の解釈はあったとしても、それを聴いている方に押し付けることはしたくない。ピアノを使って「わたし」を表現するのではなく、ピアノとともに「音楽」を共有したいのです。

逆の立場で、私が鑑賞する芸術作品や本に対して感じることなのですが、最後の想像の主体者は受け手である自分でありたいと思っています。作者が主観を全面に出している作品や本には居心地の悪さを感じます。

読書が好きで、小説からノンフィクション、伝記、漫画も読みます。『ワンピース』も最新刊をいつも楽しみにしています。読むことを通して、私のように音楽しか知らない人間が、他のプロフェッショナルや立場の人がどんな風にものを見て決断し、行動するのかを覗き見るのが楽しい。

絵画鑑賞も好きです。ウィーンに寄った時はエゴン・シーレをたくさん見ました。彼の色使いは本当に綺麗です。この色は最初から目指して作っていった色なのか、重ねているうちにたどり着いた色なのか…などと考えながら見ました。モチーフもいろんなものがあって、想像力を働かせてくれるところが好きです。ピアノの演奏の肥やしにとは思っていないのですが、引き出しは一つでも多く持っていたいと思っています。