花柳章太郎先生が私を奈落に呼んで
──花柳章太郎は、新派の名女方で、立役も兼ねた名優でした。久里子さんの母方の祖父、六代目尾上菊五郎を大崇拝していたとか。
波乃 私に向かって柏手(かしわで)打って拝んだりなさる。「お前を拝んでるわけじゃない。お前の中に流れてる六代目の血に対して敬意を表しているんだ」って。幕間に銀座で私のお洋服を買ってきてくださったりするんだけど、私は少しもそれに応えてなかった。「何、このおじさんは」って思ってました。
そのころ新派は花柳派、水谷派って二つの流れがあったんですね。あるとき花柳先生が私を奈落(舞台の地下)へ呼んで、「お前が俺のこと好きじゃないのは、おじちゃんは別にそれでいいんだよ。でも人の口がうるさいから、ともかく好きだ、と言っといておくれよ」って。
それからこうもおっしゃった。「八重ちゃんのこと、マリア様って言ってんだって? 頼むからおじちゃんのこと、お釈迦様って言っておくれよ」(笑)。このごろよーくわかります。派閥みたいなものを劇団の中に作っちゃいけなかったんですよ。
──その花柳章太郎は、昭和40年1月6日に亡くなっている。久里子さんが新派に入って、3年にも満たなかったのでは。
波乃 ええ、先生最後の舞台が樋口一葉の『大つごもり』、18歳のお峰でした。私はお峰の奉公先のお嬢さん役。玄関を上がるときに下駄は脱ぎっぱなし、着物の裾が汚れたって気にしない。私はただ気づかずにそうしていただけなのに、「この子はすごい」って絶賛してくださって。「これが本物のお嬢さんてものですよ」って。
このとき花柳先生はもう70歳なので、鬘を取ると頭は薄いし、ほんとにおじいさんなんだけど、芸の力ってすごい。お峰は貧乏な伯父さんから借金を頼まれて、奥様にいくら頼んでも大晦日で忙しいからと相手にされない。思い余って手文庫から2円盗むと、そこの家の放蕩息子の石之助がそれを見ていて、あとのお金を全部盗って行ってくれちゃう。死ぬ覚悟でいたお峰が幕切れで「神様がいた」ってつぶやくんです。この台詞、台本にはないんです。花柳先生の工夫です。
このときすでに先生は体の具合が悪そうでした。それで私に代役が来るかもしれないと思って、自分の役が終わってもずっと舞台の袖で見ておりました。本当は役が終わったらすぐに引っこまないと、衣装屋さんと床山さんに悪いんですよ。でも、叱られても何でも、幕切れまでずっと見ていました。先生の「神様がいた」は一生忘れない。私、お峰をやる人には必ずそれを教えていますよ。