同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。
19 ハルア
小学校の運動場が飾り付けられていて、広い場所の飾り付けっていうのは、どこから始めればいいか分からないだろう、途方に暮れながら、でも手の届くところからやるんだろうと思いながら眺める。ダユカのお姉ちゃんがいる、小中とバレエ教室が一緒だったから気安い仲で、私を見つけて近寄ってくる。「大学の時入ってたゼミの子たちの企画だからさ、手伝いしてんの。地域との連携、第一回冬祭り」とダユカのお姉ちゃんが言う。「人来るの?」「あんまり来ないよたぶん、焚き火でもしたら来るかも。人ってみんな適温のところに集まるよ」とお姉ちゃんが笑う。「大学生を手伝って、大人って感じですねえ」「いやー、でも働き始めて思うけど、誰しも大人になり切ってから、大人って呼ばれるわけじゃないもんねえ」「でもママと子育てして分かったけど、ママだって大人じゃないかも」「それって驚きかも、でも当然かも」
「ねえねえ、高校の時の友だちって、まだ付き合いってあるもの?」「あるある、うちの親とかも同級生と遊んだりしてるもん。そりゃ少数精鋭だけど」という答えに私は安心する、友情は、いつか離れるから意味なかったとも思わないけど、長く続くのが最善でもないんだろうけど。「友香のこと末長くよろしくお願いしますねえ。友香ってさ、学校でもメイク濃い?」「どうだろう、結構塗り直してはいる。ダユカはでも、お姉ちゃんの教えによるメイクでしょ?」「私もさ、言い過ぎたかなって。私がメイクしてあげるとさ、お姉ちゃんは私の顔の、ここが余計だここが足りないと思ってるんだねって。メイクってそういうもんじゃん。でも人の、短所なんて指差してあげる役は、いなくていいね」
「どうかな、私はママに、アドバイスならもらいたいけど。今小さい弟妹いるしさ、もらえないけど。言われるのは子育てで足りないところばっかり、何でこの服着せたの今日は寒いでしょとか、おむつのテープが緩かったとか」「春亜が、育児以外は完璧、ちゃんとできてるってことだよ」とお姉ちゃんは慰めるように言い、そんなわけはないけど、と私は思うけど言わず、でも慰められたかったので良かった。「偉いよ」「そう言われたいから、こういう話を人にしてる気がするよ。私にアドバイスくれてもいいよ」と私は顔をつき出す、「うーん、それはやっぱり妹以外にはできない。妹を、子ども扱いし過ぎか」「大人になり始めたら、もう大人ですから」「大人に成り切るのは遥か先で」とお姉ちゃんは言い、大学生に呼ばれて、じゃあねとあっちに行く。
ダユカの家に行き、玄関で借りた漫画を返し次のを借りる、ダユカは自転車を出す。「さっきお姉ちゃんいたよ。自転車に自分で油差すんだ」「差すよ。ハルアのとこママがやってくれるの?何か祭りでしょ、でも今またケンカしてるから、お姉ちゃんと」「妹思いだったよ」「そういう一面もあるけど、一面見りゃあそれはね。でもアドバイスって、指摘じゃん」「姉からのアドバイスはいらない?」「いらないいらない、見守りもいらない。親心出さなくていい」とダユカは自転車を跨ぐ、スカートの裾を直す。「冬祭り、お姉ちゃん頑張ってるから、堺とでも行ってあげてよ。あれかわいそうなんだよ、せっかく会社休みの日に、頑張り過ぎ。私のアドバイス聞かないだろうから言わないけど」「堺とならいいかもね、横にいても気にならなくて」と答える、気にならないっていうのが、一緒にいるには一番なのかもー、と声を伸ばしながらダユカが走り去っていく。見送って、木や草なんかを眺めながら歩く。誰かといるより一人が何でも、鮮明に目に飛び込んでくるというか、子どもと手を繋いでいたらもう風景なんかは、小さい弟妹を襲ってくるかもしれない敵なわけで。ただ冬の枯れ木枯れ草なのだから、こうして眺めても何になるんだとは思うけど。
大きい道路を渡ったところにあるペットショップを覗いて、ここは立地的に小さい子は連れて来にくい。もうちょっとしっかりと歩けるようになれば、弟妹とも来れるだろう。振り子のような自分の勢いで、道路に飛び出していくんじゃないかという今の時期を抜ければ。奥に行くほど暗く物悲しいので、入り口の魚の水槽を眺めて、熱帯魚と共に背の白い脚の赤い、砂粒に紛れる小さな蟹もいて、値札のところの説明には、大人しく魚と混泳もできます!と書いてある。色が暗くて分からなかったけど、ほら結構大きい魚もいる、と妹なんかと来てたら指差してあげただろう。蟹は赤い砂の粒に紛れている、混泳というか、と眺め、混ざってあるというよりは、とこの状況をより正確に表してみたいが、いい言葉は出てこない、まあ一緒にいるということは、混ざってあるということではないと思う。
潜っていく蟹を見て、夏には弟がカブトムシを採ってきて、思いもよらない畑なんかにいたらしくて、虫を嫌がるママが分からないなりに飼う道具を揃えたのを思い出す。新しいものを迎え入れる時なんかは全て分からないなりに、でもやってみる、という雰囲気になるものだから。プラスチックの虫カゴの上は金網を取り付けた、土を深くした、色の違いで味も違うのかを、知ろうとしなければ私たちは永遠に知ることのないゼリーを置いた。カブトムシは深夜になるまで土に潜っていて、日の出を見てから土の中にまた戻っていくので、弟と虫との接触は、畑で捕まえた時と、土から出て死んでいたのでその時だけとなった。私は虫は好きでも嫌いでもない、たいがいのものに好き嫌いない。細い足を順に動かして体を運ぶ、金網で遊ぶのを、家族で私が一番早起きで部屋も違って、後の四人は四人一緒の寝室でまだ寝ているので、私だけが眺めていた。弟というものがいなければ、カブトムシなんてああして眺めなかっただろう。
お風呂の中で、妹のお尻が足の甲にのってくるので、象の親の鼻のように揺らす、妹は私の脛につかまる。水の力で重くない、何ものってないみたい。幼い私もママにこんなことしてもらっただろうか、昔の家は小さい深いお風呂だったから、大人でも中腰で入ってたから、できなかったか。妹のお腹は子どもらしい膨らみを持って、ここに何か詰まっていると予感させる、大人になったら平らなのが良しとされるんだから、内臓の充実など周囲に語らなくなるということか、多く語らずというのが大人なのか、とのぼせた頭で考える。妹はお風呂が長い、弟は肩まで浸かった後すぐ出てしまう。ママが一緒に入る役だけど、ママが生理の始まりの時とか、そうでなくても代わってあげるととても喜ぶ、私はママが喜ぶ方法をたくさん知ってる。私だって面倒くさいのだから、行動に移すかは別の話だ。
でもたとえばウガトワだって別に、心底好きでバイトしてるわけじゃないだろう、必要から来るものだろう。ナノパのソフトボールだって、続けて続けてその、最初は手漕ぎだった舟が波にのったから進み続けているだけのようなものだろう、みんな同じようなモチベーションで、色々をしてるんだろう。妹が立ち上がり湯船の滑りで転ぶ、やだあー、と声を出しながらすぐ引き上げ起き上がらせる、怪我をされるのは心底嫌だ。「ごめん大丈夫?」と両脇を持つと、「大丈夫?」と妹も私に言い返す、幼い妹の大丈夫?は、ばーぼーぶ?に聞こえる。私の脚の上に倒れたから、脚を心配してくれてるのか。うんうん、と私は答える、妹はお互いの無事が嬉しいのか笑う。子どもほどかわいいものもないという気もする、そしてこれは錯覚では決してない。瞬間瞬間を切り取れば、子どもの周りには美しい瞬間多く、でも時は連続しているんだから、美しい美しいと感心ばかりしていられない。
お風呂に入れる係をしたので、「アイス食べる?」とママが優しい。「食べる食べるー」と寄っていき、嬉しいのでママの肩をつつく、さっきの妹みたいに、足の甲に座って象さん、としてもらってもいいけど、私はもう持て余すほど大きい、ここには水の助けもない、あんなことは私たちにはもうできない。そういう付き合いでは、もうないというだけだ。「ごめん、さっき湯船でこけちゃった、すぐ引き上げれたけど」と謝る、ママのものであるみたいに、妹がママのものでもないんだけど、まあ明確に、妹は私よりはママに近しい、謝るならより妹に近いお父さんにの方がいいのかもしれない、でもそれならお父さんが、妹を風呂に入れた私にお礼を言うのが先だろう。もう妹に謝ったんだから良かったか、とアイスの蓋をめくる。大丈夫?とママは妹に寄っていく、小さい子がいるからマットを敷いた床、どこでも角には柔らかいカバー、割れない皿、そういうのの中にいる。床に座る妹はとても小さい、ママは座って顔を覗き込む。妹に変なことを言われたら嫌だなと思うので私も近づく、何を言うもないだろうけど。ばーぼーぶ、と心底安心した様子の妹が答える、それはそうだ、ここに危険なものは少ない。「ほら、ばーぼーぶ」と、ママが私に微笑む、私は本当に何となくで、屈む二人をひと塊として抱き締める。