撮影:川上尚見
昨年出した著書で、玉袋筋太郎さんは父が自殺していたことをはじめて明かした。当時、自身は35歳。その死を受け止めるには若く、また、人に語ることでもないと胸にしまってきたのだ。なぜ父を突然失わなければならなかったのか。そして、その後芽生えた家族観とは。(構成=福永妙子 撮影=川上尚見)

メモに「ごめん」とだけ書き残して

オレには3歳上の姉がいるけど、この17年間、まったく会っていません。オレから絶縁を言い渡して以来、今どこで何をしているのか、生きているか死んでいるかも知らない。

うちの実家は雀荘をやったりスナックをやったりしていたので、両親は共働き。いつも一緒に留守番をしているような姉弟だった。親父やお袋といるより、姉と過ごす時間のほうがずっと長かったし、たくさん遊んで、世話もしてもらって、仲よかったんだよ、あの頃は……。

それなのに、姉と縁を切ろうと決めたきっかけは親父の自殺です。遊園地の観覧車に子どものオレだけ乗っけて、自分は下から見ている――。そんな高所恐怖症の親父が、65歳の時、ビルの6階から飛び降りちゃった。きったねぇメモに「ごめん」とだけ書き残してね。

親父は体調を崩し、メンタルも弱って入院していた。元気づけたくて、オレ言ったんだよ。「今まで大変だったけど、お楽しみはこれからだよ、お父さん」って。芸人の仕事が順調になってきて、商売しながらオレを育ててくれた両親にようやく恩返しできると思ったから。

その2日後に自ら命を絶つなんて、考えもしなかった。「ごめん」のメモ以外に遺書はなかったけど、親父を苦しめ、自殺の原因をつくったのは姉とそのダンナだとオレは確信しています。

姉は子どもの頃から太っていることがコンプレックスで、学校でいじめにもあってた。そのうえ、精神的に不安定になると自傷行為をして親を慌てさせることがたびたびだった。自分の存在をアピールする方法を、ほかに思いつかなかったんだろうな。

だけどさ、両親にとってはかわいくてしょうがないわけよ。何かあったら娘を助けたいし、守りたい。ともかく親父たちは、姉が問題を起こしても無条件にすべてを受け入れ、面倒を見ちゃう。そうした関係がずーっと続いてきたわけです。

オレは高校卒業後、師匠である北野武に弟子入りして家を出ていたから、両親と姉の関係を客観的に見ていました。そして、たまたま読んでいた本に出てきた「共依存」という言葉に、「これだ!」と思った。両親と姉は、このまま共依存の袋小路に入っていくんだな、と不安を抱いたことを覚えている。