ところがさ、今度はお袋に取り入り出したんだよ。その頃、お袋は以前に買っていた新宿のマンションでひとり暮らしをしていた。そこに姉夫婦が金の無心に来る。孫の教育費だとか、アトピーになったとか言われると、親父の生命保険を出しちゃうんだよね。「一緒に住もう」とも言ったらしいけど、それはお袋のことを思ってじゃない、金ヅルだもん。

「金を出すことは、お姉ちゃんのためにならない」といくら言っても、洗脳されているから怪訝な顔をしているわけよ。「お母さん、頼む。このままじゃ、親父と同じことになる。つらいと思うが、向こうを切ってくれ」と土下座して、涙ながらに訴え続ける息子を見て、少しずつわかってくれたようだった。

オレは40歳にしてようやく自分の家を買えたので、お袋を引き取った。姉たちには「お袋に絶対に近づくな」と伝えたし、新居の住所も連絡先も一切教えなかった。さながらカルト教団からの救出劇ですよ。

あれから10年以上が経ってお袋に認知症の症状が出てきたので、昨年から施設に預かってもらうことにした。お袋は気持ちのさっぱりした人で、オレたちと一緒に暮らし始める時に「お姉ちゃんのことは忘れた」と言ってくれたけど、本当は心の中で無理していたかもしれないよな。

だけど今は、自分のお腹を痛めて産んだ娘のことも、孫のこともすっかり忘れている。もともとの性格と、認知症によるボケがミックスされたのか、よく笑うんだ。その笑顔にオレはすごく救われてるね。もう、娘のことを無理して忘れようとしなくていい。つらい現実と向き合わなくていい。そう考えれば、認知症もまんざら悪くないのかもしれない。

 

絶縁しても、思い出は消せない

「きょうだいは他人の始まり」と、先人はよく言ったものだよね。実はその昔も、オレは身内がバラバラになるのを経験しています。うちは親父が長男で、ほかに姉と弟がいた。じいさんが建てたビルで叔父さんや伯母さんの家族と一緒に、何不自由なく暮らしてたんですよ。両親も親戚も商売をやっていてみんなで飯を食ったり、大人たちは酒を飲んだり。

ところが、じいさんが死ぬと状況が変わった。ビルは新宿の一等地にあって、相続は揉めに揉めた。結果、一家離散ですよ。親父はそれで傷ついて、住み慣れた新宿を離れた。理想の家族なんていっても、いつ壊れるかわからないと、この時学んだ。

だからさ、ほんと家族って何だろうと思うよ。オレには、今年27歳になる息子がいるけど、彼とは血はつながっていない。25歳で所帯をもった時の、カミさんの連れ子だから。

だけど縁あってオレのところに来てくれて、こんなダメな父親なのに息子は横道に逸れることなく、まっすぐに育ってくれました。オレは、自分があいつに育ててもらったと思っているしね。その息子も結婚して、オレには息子夫婦という新たな家族が増えたわけです。

血のつながりがあるのに切り捨てた家族があり、一方には、血はつながらないけど愛おしみながら築き上げてきた家族がある。血縁なんかどうでもいい。そう思いながら、姉夫婦の借金を一緒に肩代わりしてくれた叔父さんがつぶやいた言葉が忘れられないんだよ。

「でもなぁ。お前は最後は血がつながっているんだからな」

その言葉は矢尻のように、ざっくりオレの胸に刺さった。今も刺さったまま、オレはこの先も生きていくんだろうと思う。