20代半ばの巴さんと父・五社英雄さん(写真提供:五社さん)

深作 大人になって親父と飲んでいる時に「ヤクザ映画ってどうだったの?」という話をしたら、「俺はヤクザに感情移入したことはない。ヤクザにちゃんと感情移入して撮るのは五社エイユウのほうだ。あいつ、刺青も入れてるらしいぞ」って。

五社 父は義理人情にあつい極道の世界に憧れている面もありましたね。

深作 彫り物を入れたのはいつだったのですか。

五社 いろんなことを乗り越えて、『鬼龍院~』が大ヒットした後。今後どんな作品を撮れるのだろうかという不安から軽度の鬱状態になって、死にたいという話ばかりするようになったんですよ。その時に極道の知り合いから、「そこまで死にとらわれているなら、彫り物でも入れて覚悟を決めろ」と言われたようです。

ちょうど『陽暉楼』(83年)を撮っている時で、彫芳の三代目が約半年かけて背中一面に彫ったのが「渡辺綱(わたなべのつな)の鬼退治」の図柄。背中上段に描かれた鬼はカッと目をむき迫力満点で、私は腰を抜かすほど驚きました。

深作 そういえば、それ以前に五社さんが銃刀法違反容疑で逮捕されたことで、親父は五社さんが撮るはずだった『魔界転生』(81年)を撮れたんですよね。

五社 そうそう、そんな縁もありましたね。母の家出と私の事故が続いて起こり、その直後に今度は父が預かっていた拳銃の所持で逮捕されて……。それにしても、健太さんはお父さんと同じ職業についていますけど、私は映画の仕事にかかわろうとは200パーセント思わなかった。家を抵当に入れて映画を撮った監督もいらっしゃいましたが、そんなのとんでもないわって。

深作 大島渚さんや今村昌平さんは独立して自分の好きな映画を苦労しながら撮っていましたけど、僕は親父から「自分のお金では絶対に映画を撮るな」と言われてきました。そういう点では、親父も五社さんも、生涯、商業映画を撮っていた。芸術性よりもお客さんのことを絶えず考えていた監督という点で、僕らの父親は似てますね。

五社 いかにお客さんを喜ばせ、ヒット作を作るかが大事だ、と。