左)五社英雄/1929年東京生まれ。ニッポン放送を経て59年にフジテレビ入社、80年に独立。代表作に『三匹の侍』『御用金』『人斬り』『鬼龍院花子の生涯』『吉原炎上』『極道の妻たち』ほか。92年死去(写真提供:五社さん)
右)深作欣二/1930年茨城県生まれ。53年に東映入社。代表作に「仁義なき戦い」シリーズ、『柳生一族の陰謀』『蒲田行進曲』『里見八犬伝』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』『バトル・ロワイアル』ほか。2003年死去(写真提供:深作さん)
日本映画史に残る名作を数多く生んだ二人の映画監督、と。アウトローたちの生きざまを一貫して描いてきた二人は、私生活でも時に注目を集めてきた。破天荒に生きた名監督の娘と息子が、初めて二人で父を語り合う(構成=大西展子 撮影=大河内禎)

<前編よりつづく

二人とも、生涯商業映画にこだわった

五社 父と深作さんは1歳違いで、同時代に映画を作り続けたライバルで、共に東映を支えていたという縁もあるんですよね。

深作 親父は五社さんをすごく意識していたと思います。時代劇も女性映画にシフトしていったのも、五社さんが先ですし。ただ、五社さんは純然たるヤクザ映画は撮られてないんですね。

五社 ないです。だから、深作さんの『仁義なき戦い』には感動した半面、すごいショックを受けたと思いますし、やる気を掻き立てられたはず。『鬼龍院~』の時は助監督が深作組と重なっているんですね。

その助監督が、現場に着古した『仁義なき戦い』のスタッフTシャツを着てきたそうで。「俺は深作組でやってるんだ」という姿を見せつけられた父は悔しかったでしょうし、「深作を超えてやる」という気持ちを強くしただろうなと思います。

深作 役者さんも重なってましたよね。一方で、五社さんは仲代達矢さんなど俳優座の役者さんたちと密接でしたけど、親父の場合はスターシステムが苦手で、菅原文太さんや千葉真一さん、あるいはピラニア軍団とか、苦労して這い上がった役者さんたちを愛していました。でも、僕はあの頃の五社さんの洗練された世界が好きでしたね。

五社 ありがとうございます。私も『仁義なき戦い』を何回見たことか。