左から、五社英雄さんの娘で五社プロダクション代表の五社巴さんと、深作欣二さんの息子で、映画監督・演出家の深作健太さん(撮影:大河内 禎)
日本映画史に残る名作を数多く生んだ二人の映画監督、五社英雄と深作欣二。アウトローたちの生きざまを一貫して描いてきた二人は、私生活でも時に注目を集めてきた。破天荒に生きた名監督の娘と息子が、初めて二人で父を語り合う(構成=大西展子 撮影=大河内 禎)

家での父は中村主水!?

五社 父親同士が同時代に映画監督としてしのぎを削っていたのだけれど、子どもである私たちがこうしてお会いしてお話しするのは初めてですね。

深作 親父たちが親しくしていたという話は聞かなかったし、僕らが撮影所などですれ違うこともなかったですね。

五社 お互い映画監督を親に持ち、しかも一人っ子同士。世代は違うけど、共通点も多そうです。でも実は私、小学校低学年までは、父がどんな仕事をしているのか知りませんでした。

深作 そうなんですね!(笑)

五社 父は当時フジテレビに勤めていて、『宮本武蔵』(1961年)や『三匹の侍』(63年)をはじめ、時代劇ドラマを精力的に作っていました。その後、テレビ局出身の映画監督第一号となるのですが、会社近くの我が家には俳優さんやスタッフさんたちが年中来ていました。でも私は「人が大勢来る家だなあ、毎日何しに来てるんだろう」と。(笑)

深作 僕には巴さんのその環境、ちょっと羨ましいですね。僕が生まれた年、親父は映画『仁義なき戦い』(73年)の撮影で京都の撮影所に行ったきり。東京の自宅には滅多に帰ってこなくて。

五社 私の場合、父が映画監督だとはっきり認識したのは小学校高学年の頃。父の作った『五匹の紳士』(66年)を母と観に行ったんですが、悪党と殺し屋たちが大金を奪い合うために死闘を繰り広げる強烈なアクション映画。とんでもない仕事してるな、うちの父親は、と思いました。