撮影現場で見た父の姿に……
五社 健太さんが監督になりたいと言った時、深作さんはどんな反応でしたか。
深作 それが、5歳の僕に向かって、映画作りの本質を話してくれたんですよ。「いい現場は監督、演出家が暇になる時がある。映画作りはお祭りだから監督はその祭りの音頭取り。監督が気持ちよく踊っていればみんなが楽しくついてくるものだ」。当時は意味がわからなかったけど、今になってその言葉を噛みしめていますね。
五社 監督が撮影現場に入るとピーンと緊張感が走って、みんながその指示で動く。私もそんな父の姿を見た時は、やっぱり映画監督っていいな、やめられないだろうなって思いましたね。
深作 一瞬のシーンのためにみんな命を懸けてるから。僕は物心ついた頃にアウトローの生き方として若松孝二さん、長谷川和彦さんという監督の映画の洗礼を受け、何度も救われました。そんな中で親父の『仁義なき戦い』を見て感動したし、尊敬できる監督だなと思っていました。
五社 私はまったく父の仕事には興味なく、自由気ままな女子校生活を送っていました。
深作 ただ80年代になると、親父は自分の恋人と仕事をしていたので、僕は撮影現場に呼ばれなくなりました。でも86年かな。『火宅の人』という作品を親父が撮ったので、母と観に行ったんです。ところがこれが、とんでもない浮気告白の映画で。
五社 作品でカミングアウトしたんですね。(笑)
深作 ええ。当時の僕は思想的に左に傾いていた頃で、親父から大杉栄の全集を渡されていて。そこには自由恋愛、つまり結婚や男女の想いは何かに縛られるものではない、と書かれていた。作品で言い訳してるみたいだったけど、親父の考え方は一貫しているように見えました。
五社 そういえば、後に不倫関係になる女優さんを深作さんに紹介したのは、健太さんだったそうですね。