歌は世につれ、世は歌につれ

時代は大きく変わってきたが、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」である。テイチク90年の歴史のなかで、さまざまなモーメントがあったが、ここでは1981(昭和56)年にタイムスリップしてみよう。

左から、フォーク・デュオの雅夢(中川敏一、三浦和人)と川中美幸

テイチクでは当時、年始には「テイチクヒットパーティ」を開催しており、パーティが行われた1981年の前年となる1980年に活躍したアーティストを讃えてヒット賞が贈呈された。

パーティには石原裕次郎、八代亜紀、高田みづえ、川中美幸、雅夢の2人といった、ジャンルも世代も異なるアーティストたちがそろい、晴れやかに鏡開きを行った。

そんな彼らの当時(1980年~1981年)を振り返ってみたい。テイチクを代表するビッグスター、石原裕次郎は1934(昭和9)年生まれ、つまりテイチクと同年に誕生している。

この頃は、テレビ『西部警察』を自ら制作、石原プロモーションの頼もしきボスとして活躍していた。前年の1980(昭和55)年12月には、八代亜紀とのデュエット『わかれ川』とカップリング『なみだの宿』をリリースしたばかり。

昨年、惜しくも亡くなった日本の歌謡史を作り上げたシンガーの八代亜紀にとって、この年のヒットパーティは特別なものとなった。

1980年4月にリリースした『雨の慕情』が、前年の『舟唄』に続く大ヒットとなり、第11回日本歌謡大賞をはじめ数多くの音楽賞に輝いていた。このパーティの直前1980年12月31日には、前年に惜しくも逃した日本レコード大賞を『雨の慕情』で受賞したばかり。まさに晴れがましい瞬間のショットである。