喪失感の正体

私はいつも不幸になる三原則があると申し上げています。それは、「自己憐憫」「責任転嫁」「依存心」です。そもそも喪失感の正体はなんなのでしょうか? 友人を見送ったあとに残された私。なんでも話せる相手がいなくなってしまった私。これから私は誰に話せばいいの。感傷的になっても慰めてくれる友人はもういない……。そんな「かわいそうな自分劇場」が開幕しているのではないでしょうか。友人の死を悼むという本筋とは異なる心理が働いているように思います。それこそ、自己憐憫であり、依存心にほかなりません。

喪失感から脱却できないときは、自問自答してみましょう。友人への依存心があったからこそ、頼る人がいなくなった喪失感が生まれたのでは? と。その小我な自分に思い至ったとき初めて、「あなたがいなくなって私はこれから誰に話せばいいの?」ではなく、「これまで私の話を聞いてくれてありがとう」という感謝が溢れてくるに違いありません。

そもそも「なんでも話せた友人」というのは、あなたから見た評価です。相手は「いつも自分の話や愚痴ばっかり聞かされて、まいっちゃうわ」と思っていた可能性だってあります。人間関係は腹六分くらいがちょうどいいのです。

もしあの世へ旅立った友人が、あなたを無二の親友と思っていたとしても、喪失感でいっぱいのあなたを見たら、こう言うでしょう。「いつまでも私に依存しちゃダメよ。もう私にはどうしてあげることもできないんだから、しっかりして!」と。あの世に行った友人にまで心配をかけるなんて……。それがいかに不幸を招く行動かがわかっていただけると思います。