核をめぐるジレンマ
「一番怖いシナリオは米露が戦略核で応酬し合うことだが、あまり現実的ではない。そうなると、ロシアは戦術核や中距離核のレベルで威嚇を強めたいと考えるだろう」=松村氏
「戦術核の演習は第3段階まであるとされる。ロシアはどの程度まで揺さぶりをかけてくるのか。それでも、欧米はウクライナ支援強化を打ち出せるのかに注目したい」=兵頭氏
伊藤核使用をめぐるプーチン氏の言動は、世界の核抑止の考え方に大きな影響を与えると思います。米国では今、「安定性と不安定性のパラドックス」という議論が行われています。核大国は普通、「戦略核の撃ち合いになれば、互いに滅びてしまう。事態をそこまではエスカレートさせないようにしよう」と考えるでしょう。しかし、指導者が「最悪の事態さえ避ければよい」と思うようになれば、かえって戦術核や通常兵器を使用するハードルを下げてしまうかもしれません。戦略核の均衡が戦術核や通常兵器の不安定化を招くとの逆説が生じます。
戦略核でにらみ合っているから、戦術核くらいまで使用しても大丈夫だろう」とプーチン氏は考えているのではないかというわけです。こうした見方には異論も出ています。危機に際して、相手がどのように反応してくるのか、事態がどのようにエスカレートしていくのかについては、現実になってみないと分かりません。戦略核の撃ち合いにならないとの保証はどこにもありません。不確実さはたくさん残っており、そう簡単に核使用のハードルは下がらないとの反論です。
プーチン氏による核の恫喝はどちらの方向に向かうのか、注視していく必要があると思います。注意しなければならないのは、自分たちの基準で相手の行動を予想することです。相手が合理的に動くとは限りません。1962年のキューバ危機では、米ソは互いに相手の出方を見誤って、核戦争の寸前まで行きました。有事では、相手を誤信することと、相手に誤解を与えることに留意するべきです。プーチン氏が本当は何を考えているのか、よく分からないところがあります。ウクライナを侵略することは、そもそも、私たちの基準ではあり得ないことです。核抑止のあり方も揺らいでおり、予断を許さない状況が続きます。
吉田同感です。プーチン氏の核使用をめぐる言動はかなり露骨で、ここまで踏み込む旧ソ連やロシアの指導者はいなかったと思います。伊藤さんが指摘された通り、私たちの合理的な考え方とは異なる思考をプーチン氏が持っているとしたら、核の恫喝がエスカレートして、さらに緊迫した局面を迎える可能性はゼロではありません。ロシア領内への攻撃で欧米諸国が供与した兵器が成果を上げた場合、プーチン氏はどう出てくるのか。欧米や日本はロシアの脅しに屈せず、ウクライナを支援しなければなりません。そのためにも、プーチン氏の核使用をめぐる考え方を検証するべきです。
核抑止の揺らぎはウクライナにとどまりません。プーチン氏は6月、北朝鮮を24年ぶりに訪問して、両国関係を同盟に近い水準に近づける包括的戦略パートナーシップ条約を結びました。核・ミサイル開発を諦めない金正恩・朝鮮労働党総書記は挑発や脅しをエスカレートさせる恐れがあります。中国も核兵器の保有数を増やしており、米露と並ぶ核大国を目指しています。東アジアでも核をめぐる緊張は高まっています。日本は唯一の戦争被爆国で、その恐ろしさを一番よく知っています。核兵器をもてあそぶようなプーチン氏を決して許してはなりません。
伊藤俊行/いとう・としゆき
読売新聞編集委員
1964年生まれ。東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。1988 年読売新聞社入社。ワシントン特派員、国際部長、政治部長などを経て現職。
吉田清久/よしだ・きよひさ
読売新聞編集委員
1961年生まれ。石川県出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1987年読売新聞社入社。東北総局、政治部次長、 医療部長などを経て現職。