私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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20 ハルア

 妹の生活発表会は、土曜だったので家族みんなで行った。自分のお遊戯会の時はどうだったっけ、パパは来てくれずママだけだった気がする、おばあちゃんが、あのお遊戯会の時はまだいたんだっけ。小学校の音楽会は、あまりに音楽のできない子が隣でシンバルをやっていて、私が足で合図を出して、それを見ながらシンバルを叩いていた、本番でまでそうだったので、私は足に気を取られて、自分のアコーディオンでミスした。思い出は、悲しみの引き金になってしまうので良くない。思い出すことから離れられれば、悲しみも少ないだろう。嬉しさだってそれはあったけど、過去の嬉しさを思い出すのって、それを失った自分が今ここにいるというか、それはもう過去のことだと、もうその時は過ぎ去ったと浮き彫りになってしまう。やっぱり思い出さないのが賢いか。
 舞台の子どもたちは早く自分の成果を見せたくて、このためにやってきたのだと、見届けてくれと、自分の親だけを探していた、後はどうでもいい様子で。初めから舞台で泣く子がいて、先生に抱かれて嗚咽はもう吐きそうなほどで、みんなの目がそちらに集まった。他の保護者たちだって送り迎えでどの子にも接するから、ゆうちゃんあんなに泣いちゃって、と心配して見ていた、私たちは保護者というひとつの塊となっていた。衣装は白いゴミ袋に穴を開けて被って、色々貼ったものなので、吐くかもと思うたび、後ろに控える先生はゆうちゃんのゴミ袋を前に伸ばして受けようとしていた。何でも色んな使い道があるものだと思いながら、その子どもたちの集まりの中では最も身近である妹を、とりあえず私の目は追った。
 これは子どもが親から離れて、助けにも行けない、そういう時があり得ると、保護者に知らしめるための催しだとも思えた。手出しできない時があるのだ、そういう時が来るのだと。泣き喚くゆうちゃんの頭を、ダンスの振りの途中で撫でに行く子たちもいた。妹はゆうちゃんなど見もせずに平然と、手はダンスのためだけに使っていた。私は友だちを撫でに行くような子たちの方が好きだけど、その子たちだって、ただ自分が撫でたいから撫でたというだけではあるけど。ゆうちゃんの親が、見かねたのか舞台の部分に入っていき、先生に謝りながらゆうちゃんを引き取り、どこに行くかはどっちつかずのままウロウロした。壇上にもなってない客席と地続きの、ただ線がテープで引かれただけの舞台だから思わず入っていったんだろう。その線上にゆうちゃんを抱いてしゃがんで、泣き止めばいつでも舞台に帰れるような雰囲気でいた。膝の上に来たのに、悲しみを引きずってずっと泣いていた。
「でもゆうちゃんのお母さんも、あそこまでは行かないべきだったよねえ。目立っちゃう、みんなのビデオにも入っちゃう」と、帰り道でお父さんが言った。「でもあれ以上のゆうちゃんの我慢と、ゆうちゃんママの我慢で何が生まれるかっていうと。吐いてたかもだから」と私は言い、どの家族もあれを見て意見あって、もう何も変えられないことを今言い合っているんだろうと思った。「そろそろ泣き止む頃だったんじゃないかなあ」とお父さんが笑い、この人は子どもの泣き止むタイミングが分かるくらい、子どもたちを見ているだろうか、何か天性のものでもあるのか、問い正したくはなった。でも喧嘩腰でいけば喧嘩になるのだろう、私はお父さんにまで、何か教えてあげなきゃいけないだろうか、近いもの同士は教え合うべきかと思いつつ、ああー、とだけ答えた、何の構えでもない、歩み寄りのものでもない。まあお父さんの担当はママだし。
「でも私がゆうちゃんなら、親が目の前で泣き止めって顔をしてるより、駆けつけてくれた方が救われるだろうけど」とママが言い、「でも、小学生になってもあれするの?俺って何でも集団として、見てしまいがちかなあ」とお父さんが答えた。まだあの子たちは小学生でもないのに、自分だけがその未来を見通してるという顔をして。ママの両手には今、弟妹が繋がっているので、私は横でなく斜め後ろから、妹の手を繋ぐママの手をその上から握り、「ママだったら、私を助けに来てくれる?」と聞いてみた。「春亜がちょっとでも泣き始めたらすぐ行こうかな」とママは言い、団子になった手では歩きにくく、嘘、弟妹の泣き声で紛れて私のは聞こえないでしょとも思ったけど、私が大きな声でママを呼べば、もしくは私が泣かなければ、いいだけの話だ。
 妹は帰りに先生から配られた参加賞のパンを、食べながら歩きたいと泣いた、親の手を離して、紙袋から出したパンを握った。ママにダメと言われ、妹は涙を落とし始めた。ママは私にも、食べながら歩くなと口うるさく言ったなあ、私も食べながら歩きたかったものだなあと思いながら見ていた。きっと門限でも何でも、妹の方が緩くなるだろう、妹の下に妹はもうできないだろう。まあ注意するのにも飽きが来るというか、縛りがなければないほど楽なのが子育てだろう。でもやっぱり面倒くささが一番力が強いというか、パンを喉に詰まらせれば後はやっぱり様々な処置が面倒くさく、時間を取られるんだから、歩き食べはさせない方がいい。「食べさす?」とお父さんはいきなり気弱に言う、ほら我が子の泣く姿なんて、一秒でも短くしたいんじゃないか。
「後で、座って食べ」と私は妹のパンを、風にでも吹かれたかのように自然に取った。風にさらわれたなら仕方ないというように妹は頷くので、私の心はささくれずに済んだ。でも人が私の言うことを聞いたから満足するなんてことは、本当に良くない。教師なんかはよく、自分のクラスの生徒たちが素早く整列したから満足、なんて顔ができるものだ。湯河ちゃんはそういうのがないから偉い。違うクラスの若い先生二人なんかは、隣同士でそれで毎回競い合ってるみたいで、素早く並ばせて、忠誠心だかクラスの団結なのかを見せつけている。周りがいなければあんなことはしないのだろうから、何でもパフォーマンスだ。シイシイがこの前相談してきて、ハルアは会話の的確なところで笑えて相槌が打てて、それってどう心掛けたらできるの、ってそれも、パフォーマンス上手だと言われてるみたいだった。
 秘訣を教える必要もなかったというか、言ってしまえばシイシイにはこれから私が秘訣で動いているように見えちゃうんだから、言わぬが花って感じだったけど、弟妹といるせいで何でも教えようモードにはなってるから、私も不自然な時だってあるよ、会話なんて自然そのものではないっていうか、不自然極まりないんだから、シイシイは自分の自然でやり過ぎてるのかも、とアドバイスした。でもそういうのがシイシイの良さ、私の悪さでもあるんだよなあ、と私はどっちつかずに続けた。私を、ママは頼もしそうに見てきた、気落ちされるより良かった。妹は参加賞の袋から、個包装のラムネを取り出して私にくれた、好きじゃないからくれただけだろうけどありがとうと受け取り、歩きながら口に入れそうになって危なかった、後でパンを食べる妹の横で座って食べた。
 そう思い出しながら、いつもの公園で弟妹を眺めている。「やっぱここ」とダユカの声が後ろから聞こえ、振り向くとナノパ、シイシイ、ウガトワもいて、来ちゃった、とみんなで言っている。「今日バイト入ってないから」とウガトワが言い、「抱いていい?」と妹に尋ねてからダユカが抱き上げる。「抱いていい?ってちょっと何か」と笑って、ナノパは素早い弟よりもっと速く走って捕まえる、軽い走りでも、ナノパの走る時のフォームにはうっとりする。「ちょっと、私ベビーシッターのバイト代出せませんよ」「放課後の余暇ですよ、これは。余暇こそ大切なんですよ」とウガトワが座りながら答える。
「余暇じゃないですよこんなのは、時間潰しです」と私は答える、ウガトワは気の毒そうな顔、でも毎日やってみれば、これにお金が出ないことに疑問も感じるだろう。シイシイが「今のセリフとかも、ハルアが言ったらちょっと自虐でも笑えるって感じだけど、私だったら変な感じになるんだよなあ。人によるのか」と呟く、「何でも人によるよ」と私は言う。妹が砂場で、新しい友だちを作っている。子どもを見てると、強情が一番いけない、遠慮もそんなに良くはない、自分を狭める行為だ。街のどの子にも、友だちになろうという意気で話しかけるなんて、高校生にはできないことで、それなら大人になるにつれ心は貧しくなるばかりだ。
「シイシイの余暇は、最近は何ですか?」と私は問い、「妹に、自分のいらない物をお下がりで、どんどんあげることですよ」とシイシイが答え、それは何か怖い!とみんなで笑う。「喜んでるかな?」とシイシイはダユカに聞く、「使って合わなかったリップの、使った部分を削ってあげたり」と。「人によるかも」とダユカは答える。「いらないリップ私にちょうだい」とウガトワが言う、「妹からそれは返ってきたから、あげる」とシイシイは頷く。「ボール投げする」と弟がボールを取りに来て、手を振るナノパのところへ走る。「塗るのが好きなもので」と言いながら、最近メイクの薄いダユカは手作りのクッキー、アイシングで飾ったやつが入ったタッパーを取り出す、みんなでこうしていれば、公園も確かに余暇だ。この風景をこれからも覚えているかは人による、私は覚えておくだろう。クッキーに寄ってきた妹の背を撫でる、妹が私に手を伸ばす、私も撫でられる。

                                     (了)

連載小説「曇りなく常に良く」は今回で最終回となります。ご愛読ありがとうございました。本連載をもとにした単行本が中央公論新社より発売予定です。