新聞配達員として住み込みで働いて

子どもの頃、NHKのBSで映画を観ることは大きな楽しみでした。その延長で「将来、演技の仕事をするにはどうしたらいいんだろう?」と考えるようになり、「そうだ、どこかの劇団に入ればいいんだ」とひらめいたのは中学生の時。それ以来、折にふれ、気になる劇団や劇作家さんの作品をチェックするようになりました。

なかでもいいなと思ったのが、柄本明さん率いる「劇団東京乾電池」です。もともと私は、正面きって「汗かいてます!」みたいな熱い舞台が苦手。どうしても気恥ずかしくなってしまうんですよ。その点、乾電池には押しつけがましいところがなく、「ここなら私でもやれるかも」と思ったのです。

柄本さんのことはよく映画やドラマで観ていましたし、劇団の作家である岩松了さんが書いた本も図書館で借りて読んでいました。当時『あぶない刑事』に出ていたベンガルさんも好きでしたね。

念願叶って東京乾電池の研究生になり、上京して最初にしたことは仕事を探すことでした。家賃節約のために住み込みで働ける新聞販売店に面接に行ったところ、飯田橋の専売所にすんなり採用が決定。従業員用のアパートで生活しながら、新聞を配達する日々が始まりました。

仕事は規則的で、まず朝の4時に起きたら自転車で3~4分のところにある専売所に向かいます。その日自分が配る新聞に折り込みチラシを入れて、部数を数えカゴに入れて配達。途中に中継ポイントがあるので、そこでまた新聞を積んで、ぐるっと回って。専売所に戻ってくるのは6時半頃だったでしょうか。

そこには福島から出てきた、私と同い年の女の子がいて、賄いの朝食を作ってくれるんです。それを食べてアパートに戻り、午後2時くらいまで寝て、2時半にまた専売所に行きます。

5時過ぎに夕刊を配り終えて専売所に戻ると、今度はお弁当が用意してあるのですが、それを食べるには1日につき数百円を払わないといけない。私はそのお金を払うのがもったいなくて、お弁当は食べずに朝の残りをちょっとだけもらって帰っていました。

劇団の授業は月曜と木曜の週2回、夜6時から9時まで。授業がある日は早めに夕刊を配り、そのまま自転車で30~40分かけて稽古場のある幡ヶ谷に行きます。自分のペースで、しかも1人でできる新聞配達の仕事は私にぴったり。お給料は多い時で11万円くらいだったと思いますが、当時の私には十分でした。