「当時のことを思い出すと、今の俺たちの姿は想像できないよな」撮影:木村直軌

行っても行っても逆境に……

志の輔 その後、三宅さんは大江戸新喜劇っていう劇団を立ち上げて。

三宅 そうそう。それから少しして1979年に、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を旗揚げした。僕もいろいろあったけど、タケにも苦労があったよな。卒業後、いったんは広告代理店に就職したけど、28歳のときに会社を辞めて立川談志師匠に弟子入りして。でも、その直後に師匠が落語協会を辞めて、寄席には出られなくなってしまった。

志の輔 これから寄席に出て経験を積んでいくんだなと思っていたら、「自分で場所を探して、勝手にやれ」ですもの。それはないでしょう(笑)。稽古もつけてもらえず、ホールも自分で探しましたからね。

三宅 落語以外にもいろんなことをやっていたあの頃、タケはすごいなと感心して見ていました。本来なら、見聞を広めて芸を磨く修業の場である寄席に、師匠がそんなだから出られない。よく挫折しなかったよな。

志の輔 環境は劣悪でも、落語はやりたかった。ひょっとしたら、卒業と同時に22歳で弟子になっていたら、耐えられず辞めていたかも。

三宅 そうだよね。

志の輔 何か私の人生の神様がそうさせたんじゃないかと思うぐらい。今、思えば、師匠談志は演芸の小屋ではなく、キャパの大きな劇場とかホールで落語をやる時代が来ると予見していたんだな。当時は、師匠は何を考えてるんだ!? って少し恨めしく思ったものですが。だって、三宅さんは幸運な環境に生まれついたけど、僕はというと、行っても行っても逆境になるでしょ。羨ましいということではなく、そういう人生なんだな。それくらい不思議でした。

三宅 当時のことを思い出すと、今の俺たちの姿は想像できないよな。

志の輔 ホントにそう思います。