写真左から、明大落研時代の渡辺正行さん、志の輔さん、三宅さん。今もそれぞれに笑いの世界で大活躍を続けている

志の輔 これは有名な話ですが、落研の合宿で野球をやると、表彰式で“人間国旗掲揚”をやるわけですよ。

三宅 主将掲揚ね。

志の輔 「チャーン、チャーンチャ、チャーン、チャーン」って表彰式の音楽に合わせて、3人がポールを上っていって。

三宅 1位、2位、3位とね。

志の輔 1位になったキャプテンが一番高いところまで上らなきゃならないから、「なんで勝ったんだろう」って。落研全員が腹を抱えて笑いましたよ。三宅さんは、こういう洒落たアイディアを次々と考え出す。

三宅 落研は、落語をやってもやらなくてもみんなで楽しくやりましょうっていう感じだったからね。

志の輔 僕の2年後輩として落研に入ってきたのが、渡辺正行(コント赤信号)。ナベちゃんは、本当にめちゃくちゃな落語をやるのに、おかしいなこいつ、面白いなって。

三宅 生きざまが面白いんだよね。

志の輔 三宅さんと僕とナベちゃんは、古今亭志ん朝師匠が大好きで。落研での高座名も、志ん朝ならぬ(紫紺亭)志い朝。三宅さんが4代目で僕が5代目。ナベちゃんが6代目。

三宅 この名前は、僕らの先輩の播磨さんっていう人が、当時、四天王と呼ばれていた噺家の中から志ん朝、それに植木等さんが流行らせていた、「調子のいいやつ」を意味するC調をかけて作ったんですよ。

志の輔 もう二十何代目になりますかね。

三宅 誰にどの名前を継がせるかというのは、毎回揉めるらしい。でも、タケだけは絶対に俺の名前を継いでもらう、と満場一致だった。

志の輔 覚えてますよ、名前をもらいに行った時のこと。神保町の家の戸をこう開けて、「三宅さん」って言ったら、三宅さんが上から「もうきたか」って。

三宅 名前を継ぐといっても、うちで飲むだけだったんだけどね。

志の輔 その時もたしか、犬が吠えてました。(笑)

三宅 細かいことをよく覚えてるな。

志の輔 落研の誰もが、三宅さんは卒業したら落語家になるんだろうなと思っていたのに、みんなの期待を裏切って、卒業後はアルバイトを始めたでしょう。

三宅 着物を着て座布団にじっとすわっているのがイヤだった。芝居をしたいし、音楽もやりたかったしね。

志の輔 日本テレビタレント学院に通いながら日テレのコピーセンターでアルバイトをしていましたよね。

三宅 当時、コピーはまだ非常に貴重で、利用者が申告した伝票どおりの枚数をとっているかを見張るバイト。食券をもらえて、お腹をすかせた者にはラッキーでした。タケも来てはよく2人で食堂の冷奴を食べながら将来を語ったよな。35円のを1皿ずつね。酒も飲まずに。