主人公のモデルは林芙美子?
古内 この小説には、青山千鶴子さんというよく笑いよく食べる日本人作家が出てきますが、彼女のモデルは林芙美子と聞きました。実は、私も今年の夏に『百年の子』という、学年誌の百年の歴史を辿った小説を出すのですが、そこに林芙美子をモデルにした人物が登場するので、その偶然にシンパシーを感じました。そもそも、どうしてこの小説に日本の作家を登場させようと思ったのでしょうか。
楊 林芙美子は、満洲(現中国東北部)やヨーロッパを旅行していますが、台湾にも来たことがあるんです。この時期にそういう女性作家がいたということは、青山千鶴子を描くうえでの説得力になる、と思いました。台湾人通訳の王千鶴にもモデルがいて、同時代の台湾人の女性記者、楊(よう)千鶴です。当時男性ばかりだった新聞記者という職業につき、スポーツも得意で活動的な女性だったそうです。読者から、こんな女性いるわけない、と言われたときに、この時代にも活躍していた女性がいた、という説得力を出したかったのです。
2014年に、私は亡くなった共同制作者の妹と九州を旅行したのですが、そのときに(福岡県北九州市の)林芙美子記念室を訪れ、彼女が出した絵はがきなど、さまざまな資料を見ました。彼女は、大変な成功を収めた作家だったのですね。
古内 この対談の前に、新宿区にある林芙美子記念館に行かれたそうですが、どうでしたか。
楊 林芙美子の住まいを保存している記念館が新宿にあるとは知りませんでした。もし執筆前に知っていたら、記念館の間取り図をこの小説で使っていたと思います。
古内 日本人でも、林芙美子が台湾に行っていたことは知らない人が多いのではないでしょうか。この本のあとがきにはそのことが書いてあるので、この本を通して知る人も多いと思います。
楊 林芙美子は、台湾の旅館で、日本から働きに来ていた女中さんと言葉を交わしたことをエッセイに書いています。私は大学院のときにその文章を読んで、衝撃を受けました。戦前に台湾に来て台湾について書いた日本人作家がいたということを、なぜいままで知らなかったのかと。自分のその衝撃を、小説を介して読者にも投げかけたいと思いました。
古内 この小説では、青山千鶴子と王千鶴の二人の心のすれ違いの理由がわかってくるところが、とても日本人の心を打つものになっていたと思います。日本人である青山千鶴子の無邪気な善意の暴走と、無自覚な差別は、日本統治下の台湾に限らず、いまでも、あちこちで起こっている問題だと思うんですね。そういうセンシティブな問題を、明るいエンターテインメントの形に仕上げていることを、私はとても魅力的に感じます。そのあたり、ご自分はどのように考えて書かれたのかを教えていただけませんか。
楊 台湾の現代史を振り返ってみると、日本と台湾、統治者と非統治者、植民する側とされる側の関係は、非常に大きなテーマで、台湾でもさまざまな意見があり、研究もなされていますが、簡単に結論が出るものではないでしょう。私は、このような重い課題は、大衆文学、つまりエンターテインメントとして読者に問いかけてみるのがよいのではないかと考え、この小説を執筆しました。軽い方法で重いテーマを描く、というのが私の創作のスタンスなのです。