判決後の苦しかった日々。死のうとまで思い詰めた

2016年の9月に懲役2年・執行猶予4年の判決が下されました。その頃は人の目が気になって仕方がなかったんです。自分に寄り添ってくれた数少ない友人たちからも、「外に出たら石を投げられるぞ」とか「奥さんのファンに殺されるぞ」とか忠告されていました。

彼らに悪気はないと理解していますが、専門的な知識のない人の感情論に耳を傾けるべきではなかったと今は思っています。正直、僕の苦しみは家にこもっているあいだに増幅し、自分と向き合うどころか、「もうダメだ」と自分を追い込むことしかできませんでした。

そもそも家から一歩も出ないなんて、現実的には無理なんです。最初のうちは友人が食事を運んでくれていましたが、次第に来たり来なかったりするようになって、そのことに対して文句を言える立場ではない。

そこで意を決して一人でコンビニへ行きました。帽子を深くかぶってマスクもしていたのに、信号待ちで隣にいた5歳くらいの男の子が「ハンゾウチーフだ! なんで出なくなったの?」って(笑)。ハンゾウというのは、『逃走中』というバラエティ番組で僕が演じていた役の名前なんです。一緒にいたお母さんが慌てちゃって。

でもそのときに、「高知さんですよね。頑張ってください!」と声をかけてくれました。嬉しくて、親子を見送ったあと、その場にしゃがんで号泣してしまいました。

高知東生さんの記事が掲載された『婦人公論』1月28日号

そこから外に出るようになったのですが、現実は甘くはありませんでした。事件後、親しかった人や面倒をみていた後輩まで蜘蛛の子を散らすように離れていきました。自分のせいだとわかっていても寂しい。

ぽっかりと空いた心の穴を見透かしたように、心ない人が次々に寄ってきます。「つらいだろう? あるよ」と薬物使用をそそのかす人もいたし、「暮らしが大変だろう?」と善人のフリをして近づいてきて僕を利用しようとする人もいました。

でも一番キツかったのは、仕事を紹介しようと親身になってくれていた人から、「ごめん、採用が決まりかけていたんだけど……執行猶予中はマズイだろうという話が出て、ダメになった」とたびたび言い渡されたこと。

再起のチャンスさえ与えられないのかと心がくじけ、「もう死のう」と思いました。あのとき、僕のツイッターに「一度会って話しませんか?」というメッセージが送られてこなかったら……、そう考えるとゾッとします。