そして、家から一歩も出なくなった

そして、無駄な外出をやめた。

若いころは、“休み”というのは外出して、綺麗な景色や、しゃらくさいカフェの飯など、SNSのフォロワーたちが血の涙を流しながら「いいね!」を押すようなインスタ映えする写真を一発撮らなければいけない、と思っている。少なくとも、外出はおろか、お布団からも出ず、夕方のテレビから聞こえる「サザエでございまーす」が起床の合図、という休日は「無益」だという固定観念があった。さらに、休日は友達と遊ぶか、デートなど「他人と交流する」のがベストなのだとも思っていた。よって20代前半のころは、某ミクシィのオフ会に毎週のように参加していた。

しかし時は経ち、35歳になった私は結婚をし、会社を辞め、休日どころか平日さえも家から一歩も出なくなったし、家族以外誰とも話さないという日が普通になった。これが恐ろしいほどラクである。他人といるのは楽しい面もあるが、疲れる。よって、「外出して他人と1時間以上行動を共にするのは3ヵ月に1回ぐらいがベスト」という結論に達した。

また「自宅最強説」にも気づいた。家ほどラク、そして時短、さらにリスク管理が出来ている場所はない。

まず家にいると、最も無益かつ体力と精神力を消耗させる「移動時間」がない。もう少し年をとったら2階に上がるのに小1時間要するようになるかもしれないが、今はまだ15分ぐらいで行ける。また急に腹を下しても家にいれば安心だ。仮にそれで粗相をしたとしても、家ならば「爆弾処理」も余裕である。外ならそうはいかない。

このように今の私は、さまざまなことをやめて「ラク」にはなったが、「女を捨てている」「怠け者」「ひきこもり」などの声も聞こえてくる。だがそれは一体誰の声だ、という話だ。もし壁から聞こえると言うなら専門の医院に行った方がいいし、自分の独り言だった、という場合は、寂しさが最高潮を迎えていると思うので多少は人と交流した方がいいかもしれない。

しかし多くの場合、その声は「他人」、大きく言えば「世間」から聞こえてくるものである。まず、そういう声を聞くのをやめるのが第一ではないだろうか。