歌手・石原裕次郎が誕生
さて、裕次郎は『狂った果実』のダンスパーティのシーンで、ウクレレ片手に甘い歌声を披露した。ここで歌った「想い出」は、兄・慎太郎が作詞をした主題歌「狂った果実」と共にテイチクからレコード発売されることとなり、歌手・石原裕次郎が誕生した。もちろんレコーディングは初めての裕次郎、ロケ先からテイチクのスタジオに駆けつけ、あまりにも緊張していたために「ビールをください」とスタッフに頼んだ。リラックスした裕次郎はすぐにOKテイクを出した。以来、裕次郎のレコーディングにはビール、のちに水割りをスタッフが用意することが恒例となった。
歌手としても、2枚目のレコード「俺は待ってるぜ」が大ヒット。映画デビュー2年目の秋には、日活で映画『俺は待ってるぜ』(1957年・蔵原惟繕)として映画化された。港町・横浜を舞台にしたムーディなフィルムノワールは、のちの日活アクション映画の先駆けとなった。以来、日活アクションの舞台は横浜でのロケーションが多くなる。それが伝統となり、のちの舘ひろし、柴田恭兵の『あぶない刑事』に至るまで「ヨコハマはアクションの聖地」となっていく。
昭和33(1958)年の正月映画として、1957年の12月28日、裕次郎の23歳の誕生日に公開された『嵐を呼ぶ男』(井上梅次)で、ジャズ・ドラマーを演じた裕次郎が、ライバルの差し金で利き腕を怪我させられて「ドラム合戦」で演奏できなくなる。そのピンチに、裕次郎はマイクを引き寄せて「♪おいらはドラマー〜」と主題歌を歌い出す。
ありえない状況だが、それがカッコよく、サマになっていて、観客は「裕ちゃんカッコイイ!」と声援を送る。まさにスターの中のスターである。この『嵐を呼ぶ男』の空前の大ヒットで、スタッフの給料の遅配を解消することができ、日活は裕次郎を中心にアクション映画王国を築いていく。