困ったときにだけ、手を貸すというスタイルに

体調が優れないなかでも、「娘の義務」として実家で過ごし続けたミスズさん。ある日、書店で1冊の本に出会う。脚本家の旺季(おうき)志ずかさんが書いたエッセイ集『誰かのためも大切だけど、そろそろ自分のために生きてもいいんじゃない?』だ。

「『自分の心が大事。無理しなくていいんですよ』と言ってくれる内容で、読み終えたときには驚くほどパーッと心が晴れていました。そのとき、『母から距離を取ろう。上手に手抜きしながら世話をしよう』と決意したんです」

まず、食事の時間以外は自室で過ごすようにした。自分のテレビで好きなドラマを見たり、読書や手芸に没頭したりする。夕食はときどき宅配サービスも利用。昼食は週2回、母の分だけ簡単なものを用意して、自分は外でランチを楽しむ。こうしたミスズさんの変化に、母親は文句を言うこともなかった。

「そもそも、私のいない半月間は、母ひとりでも生活できている。困ったときにだけ、私が手を貸すというスタイルがいいんだ、と気づいたんです」

実は、過去にミスズさんには、「やってあげない」と決めたことが功を奏した経験があった。30代の子育てで大変な時期に、夫から「ほかの料理が食べたかった」と夕食に文句をつけられカチンときたミスズさんは、「じゃ、自分で作って」と言ったのだ。夫は何も言わず、以来、食べたいメニューがあるときには自分でこしらえている。

またあるときは、アイロンをかけたシャツに「シワが残っている」とクレームをつけられたが、「私はアイロンが苦手なので、自分でかけ直して」ときっぱり言うと、アイロンがけは夫の担当になった。2人の子育てをしながら仕事をする妻を見ていて、何か手伝いたいと思うところもあったらしい。

「夫はひとり暮らしをしていたこともあり、家事はもともと一通りできる人ですが、年々上達していきました。だから、私が長期間実家へ戻ることも受け入れてくれる。母にも、自宅で過ごして『自立』をまっとうしてもらうために、『やってあげない』が大事だったんだ、と目からウロコでした。それが結果的に、私の自由にもつながるんですよね」

 


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