おふくろの言葉
渥美 それと、ぼくの中にある友情というものに対する見きわめ方というのは、どう長くつき合えるかということはね、まず相手の中に深くどぶどぶ入っていかないことだね。そうすると、十年でも二十年でも三十年でもつき合えますよ。
うちのおふくろというのはあまり利口な女じゃなかったから、うまいことは言わなかったけれども、おふくろがぼくに言った中でね。
ぼくが年ごろになって、しょっちゅう居候みたいに泊まり込んだりしていた友だちが、夫婦別れしそうになったんですよ。
その両方がしょっちゅうぼくのところに来て、ぼくいませんか、ぼくいませんかっておれのおふくろに聞いて、おふくろも心配で「お二人、何か浮かぬ顔で来るけれどもどういうことなんだい」「実は夫婦別れしそうになっている」といったら、「そうか。お前、お友だちだからつらいだろうけれども、お前は自分でどう思っているかしれないけれども、人の夫婦仲に立ち入るようなことをしちゃいけないよ。だから、二人を呼んでもとのサヤに納めるとか、あるいはおれが中に入って円満に解決して別れさせるとか、間違ってもそういうことは、お前の器量じゃできないからそういうことは一生しちゃいけないよ。こういうことというのは、してかえって恨まれるんだ。だから、心配だろうけれども、そういうときは少し離れたところで、向こうを傷つけないようにして見つめているようにしろ」と、おふくろが言ったけれども、ぼくはそれが一事が万事に通ずると思うね。
悠木 一事が万事というのは、たとえばほかのことでは……?
渥美 たとえば友情の中でも、男の場合は比較的それがいいんですけれども、ぼくたちの商売は女の人とも友だちになりますから、この場合はやっぱりあまり深く入りすぎないほうがいいですね。相手に愛情があればあるほどね。そうすると長くいつまでも、どうだ、元気かいと、それこそ親身な話にも乗れるようになりますよ。