樹木希林さんが悠木千帆の名前で活動していた1976年、当時の男性著名人との対談連載が雑誌『婦人公論』で始まりました。30代前半の希林さんだからこそ聞けた、才人たちとの「男と女」にまつわる深い話。そして2025年3月、連載と新たに未公開インタビューを収録した『人生、上出来 増補版 心底惚れた』が刊行に。今回は、『男はつらいよ』シリーズで国民的人気を博した渥美清さんとの対談から、一部抜粋してお届けします。
●渥美 清(あつみ きよし)/俳優
1928(昭和3)年3月10日東京生まれ。終戦後、旅回り一座の裏方から役者となり、ストリップ劇場のコメディアンとして浅草の名門フランス座に出演。結核で2年間の療養生活ののち、認められてテレビ界に進出。NHK『夢であいましょう』で人気を得る。69年結婚。同年に映画「男はつらいよ」シリーズがスタート。以来26年間にわたって48作に主演。96年8月4日死去。享年68。死後、国民栄誉賞を受賞。対談当時は47歳。75年12月に16作目の『男はつらいよ葛飾立志篇』が公開されていた。夫人との間に長男(当時4歳)、長女(当時2歳)がいた。
1928(昭和3)年3月10日東京生まれ。終戦後、旅回り一座の裏方から役者となり、ストリップ劇場のコメディアンとして浅草の名門フランス座に出演。結核で2年間の療養生活ののち、認められてテレビ界に進出。NHK『夢であいましょう』で人気を得る。69年結婚。同年に映画「男はつらいよ」シリーズがスタート。以来26年間にわたって48作に主演。96年8月4日死去。享年68。死後、国民栄誉賞を受賞。対談当時は47歳。75年12月に16作目の『男はつらいよ葛飾立志篇』が公開されていた。夫人との間に長男(当時4歳)、長女(当時2歳)がいた。
土台あきっぽい男だから
悠木 劇を一つのおんなじシリーズでやるとき、そのときにあきませんか。
渥美 そうね、やはり……土台あきっぽい男だからね、おれが。とても自分であきっぽいと思っているの。
悠木 それをあいかわらず変えないで。わたし、変わんないということはすてきなことだと思うんだけれどもね。どの役者もあれもやりこれもやりじゃおもしろくも何ともない。そういうふうに変わらないというのは、一種の怠けの精神ととらえていいんでしょうか。
渥美 それもあるかもしれないね。きっと。まあそれと、何ていうのかしら、いちばん自分で納得のいくのは、今だれに何と言われようと、自分で何をやったら、いちばん見てくれたがっている人に届くだろうかっていう、そこらへんのことなんじゃないだろうかね。
要するにわたしは今後こうこう、こういうものをやって、こういう企画を立ててこういうプランもある。そうやって非常に多彩で、いろいろなことができる人もあるけれども、ぼくの場合には、今何をやったらお客さんがいちばん喜んでくれるか。
やっぱりぼくはこういう見てもらう商売だから、これはあくまでも見る人がいて成立するなりわいだから、そういった場合、お前これが見たいんだよと言ってくれるものを、やはりきわめていくより仕方がないんじゃないかと。
悠木 仕方がないというより、それが最高のやり方だと思うの。
渥美 どこまでそれをきわめていくかというところに、自分との戦いがあるんだろうと思う。