ナチスに立ち向かった農夫の実話
時は1939年。前年にドイツに併合されたオーストリアの、山と谷に囲まれた小さな村に暮らす農夫一家の物語だ。フランツ・イェーガーシュテッターとファニの夫婦には幼い娘が3人いて、フランツの母親とファニの姉も一緒に暮らしている。村人たちは、麦の刈り入れ時などには力を合わせて一緒に作業する。
アメリカの名匠テレンス・マリック監督最新作。かつて、20世紀初頭のテキサスの農場を舞台にした傑作『天国の日々』(78年)を世に出した後、20年間の長きにわたって沈黙。第二次世界大戦でのガダルカナル島におけるアメリカ軍と日本軍の激戦を描いた『シン・レッド・ライン』(98年)は、奇跡の復帰作として大いに話題を集めた。
その後は数年に1作の割合で撮り続け、ブラッド・ピット主演の『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
ただ、近年の数作品は、スター俳優を起用して抜群の映像美を誇る一方、登場人物たちの葛藤が観客に伝わりにくい傾向が増していた。難解とは言わずとも、雰囲気だけで物語が空洞化しているような、そんな印象を時に受けた。
一方、『名もなき生涯』は、マリック監督にとって、初めて実話をもとに描く作品ということもあるのだろうか、フランツやファニが抱える葛藤と苦悶がひしひしと伝わる。そして彼らが下した苦渋の決断が観客の胸に突き刺さり、深い感銘をもたらす。
映画の前半は、フランツとファニの暮らしぶりを丁寧に描く。素手で土を掘り起こすような原始的な農作業も、2人一緒なら楽しい。彼らの間にはいつでも深い愛情が流れていて、愛くるしい娘たちと桃源郷のような自然のなかで人生を謳歌している。質素な暮らしの一瞬一瞬、すべてが貴く美しい。
だが43年、アドルフ・ヒトラーの邪悪さを直感で察しているフランツは、ナチスに忠誠を誓うことを拒む。そのせいで一家は村人たちから露骨に嫌われる。それでもフランツは信念を曲げないし、ファニも夫の決意を黙って受け入れようと努める。「どうせ戦争はもうすぐ終わる。表面的に誓えばいいだけじゃないか」と周囲に説得されても、フランツは翻意しない。
そのために彼は死刑になるかもしれないし、家長を失った家族はさらなる辛酸を嘗めることになるだろう。加えて、それほどの犠牲を払っても、彼の抵抗がナチスに影響を及ぼす可能性は皆無だ。それでもフランツは静かに信念を貫く。フランツの先見の明と強靭な精神力に畏敬の念を禁じえない。世界のあちこちで軋轢が絶えない今の時代だからこそ、襟を正して見るべき作品だ。
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監督・脚本・製作/テレンス・マリック
撮影/イェルク・ヴィトマー
出演/アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、マリア・シモン、ブルーノ・ガンツ、マティアス・スーナールツ
上映時間/2時間55分 アメリカ・ドイツ合作
■2月21日よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開
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父の再婚相手との台湾旅行
大学生の奈央(モトーラ世理奈)は父の3度目の結婚相手になる綾(大島葉子)と2人きりで台湾を旅行することに。台湾各地で美味しいものを堪能し、心の温かい人たちと出会うことで、ぎこちなかった2人の距離も心地よく縮まっていく。台湾の魅力を鮮やかに伝える愛すべき小品だ。2月22日より新宿K'sシネマほかにて全国順次公開
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監督:今関あきよし
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90年に一度の祝祭に訪れた若者が見たものは
『ヘレディタリー/継承』(2018年)で鮮烈なデビューを飾った監督の長編第2作。スウェーデンの風光明媚な村が主な舞台のスリラー映画だ。その村で90年に一度の祝祭に参加したアメリカ人の若者らは、のっけから度肝を抜かれる。予測不能の展開に監督のユニークな才気がほとばしる。2月21日よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開
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監督・脚本:アリ・アスター