『婦人公論』2006年4月22日号に掲載された、宮尾さんと林さんの対談。林さんは宮尾さんが06年5月号から『中央公論』に連載した『錦』を書くきっかけとなった龍村の帯を締めて登場した

サスペンスの謎解きのように

宮尾先生はベストセラー作家としての華やかな姿がマスコミで取り上げられている一方で、ベールに包まれていた部分も少なくありませんでした。世間的には、1回目の結婚で農家の嫁になったものの、文学への思いが捨てきれず離婚。再婚して上京し、主婦をしながら作家を目指した――と言われています。しかし実際は、どうだったのか。

また、『櫂』をはじめ『鬼龍院花子の生涯』や『陽暉楼』など、高知の遊郭を舞台にした作品を何作か書いており、インタビューでは実父の商売の規模を「関西一と言われていた」と答えています。しかし大阪や神戸ならともかく、当時の高知に、それほどの規模の紹介業が本当にあったのか。私を熱狂させた宮尾ワールドは、はたして実在したのか……。

『綴る女』連載第1回の原稿。宮尾さんの誕生日会から始まる

たぶん多くの宮尾ファンが疑問に思っていたことを、私は足で歩いて解明しようと思いました。すると幸運なことにさまざまな出会いに恵まれ、次々と思いがけない事実が浮かび上がってきました。取材しながら、私自身、サスペンスの謎解きをしているような、ワクワクした気分になったものです。

『櫂』で描かれている実母は、小説の中ではかなり美化されているということもわかりました。娘義太夫という芸の道に生きようとしている純情な乙女に、お父さんが騙すようにして子どもを産ませたように書かれていますが、実際はその前に子どもを産んでいたようです。宮尾先生の借金の肩代わりをし、大変な思いをした女性にも会いました。

一番悩んだのは、宮尾先生がご自身のことを小説やエッセイに書いていらっしゃるので、それとは違う事実を書いたら失礼にあたるかな、という点です。でも作家というのは、自分のことも嘘をつくものだし、書きたくないことはうまく削るものです。それに多少謎解きをしたからといって、宮尾文学のすばらしさを傷つけることにはならないと思うのです。

丹念に取材したので、宮尾ファンの方が薄々感じていた疑問には、ほぼお答えできたかと思います。宮尾先生の身近にいた方に行きつくなど、思いがけない出会いにも恵まれました。宮尾作品を読んだことのない方には、一人の作家が別の作家の人生を解明していくミステリー的な展開を楽しんでいただけるのではないでしょうか。これを機会に宮尾先生のすばらしい作品にもう一度光が当たるとしたら、私としてもすごく嬉しいです。

林真理子さんの動画メッセージ