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[特集]
「家庭内ストレス」に負けない!
●注目記事●
〈仕事に出られず腐っていたけど〉
私の折れない心は、
「気の抜けない家」で育まれたもの
高嶋ちさ子
今回のコロナ禍で世の中は大きく変わってしまいました。私の仕事も、予定していたコンサートが次から次へと中止になり、結局28本が飛んでしまった。何もできないことに苛立って、音楽家なんていらない職業なんだ、わが子はいざという時に必要とされて、淘汰されない職業につかせなければとまで思ってしまいました。
でも、そのうちに、音楽には気持ちを盛り上げる力があるじゃないか、と思い直したんです。それで、自粛生活をしている演奏家の仲間と、テレワーク演奏をした動画をYouTubeにアップしました。そうしたら、900万回というすごい再生回数で、こちらがびっくり。音楽というものは、私が感じているよりもはるかに人の支えになっているのだと実感しました。
「元気が出ました」「またやってください」なんて言われるとうれしくて、調子に乗って5本、6本とアップしていくうちに、はたと気づいたわけですよ。あれ? この私は誰に元気にしてもらえばいいのかな? って。(笑)
というのも、家族4人が家にこもって過ごし始めてからというもの、私は3対1で責められ続けてきたんです。うちの夫はすごく細かくて、「生ごみの捨て方が悪い」「ペットボトルの飲み残しをそこらじゅうに置くな」と、うるさい姑状態。家族でトランプをすれば、息子たちから「ママはムキになりすぎ」「大人げない」とあきれられるし。「私だって、コンサートができなくてイライラしてるんですけど……」とふて寝していたら、今度は夫が「キミはだらだらしていていいね」なんて嫌みを言う。悪いかよーって言い返しましたけど。(一部抜粋)
他にも、読者アンケート結果発表「そのうんざり感も、 マグマのような怒りも、火種は「人」にあり!」、大島美幸×鈴木おさむの夫婦対談「イライラは避けられないから、笑いのある伝え方に改めました」、ルポ「話題のズンバで 手に入れた〝ひとり時間〟」などが掲載されています。
[第二特集]
医師が実践する「免疫力アップ」生活
●注目記事●
〈腸のスペシャリスト〉
帰宅後すぐに家を掃除して
自律神経をクールダウン
小林弘幸
食事は1日3食きっちり摂ります。朝食は、和食と洋食どちらの場合もあり、和食のときはごはんに味噌汁、納豆、揚げ出し豆腐、海苔など、いわゆる旅館の朝食のようなメニューです。洋食の日は、サラダ、ヨーグルト、フルーツ、カフェオレに、チーズとハムをはさんだパン。日によって若干変わりますが、大体このようなメニューを食べています。
いずれの場合も、納豆や漬け物、ヨーグルトなどの発酵食品と、食物繊維の豊富な野菜をたっぷり摂るのがルール。免疫機能の約7割を司っている腸内環境を整えるには、この2つが欠かせません。朝食を摂らない人もいるようですが、それは絶対NG。朝食を摂ると体内時計のリズムが整い、血圧や体温調節、睡眠と覚醒、ホルモン分泌が促されて、免疫力の維持にもつながるからです。(一部抜粋)
他にも、「温活」の提唱者・石原新菜さんの「平熱は37°C、 ビールを飲んでも冷えないのは筋肉のおかげです」、血管の専門家・池谷敏郎さんの「「低糖質」「ゾンビ体操」 「睡眠」が、体を リカバーする近道に」が掲載されています。
[連載]
〈〇〇なふたり〉
おじいちゃんが総理大臣なふたり
DAIGO×宮澤エマ
DAIGO エマちゃんと会うのは久しぶりだね! 初めて共演した番組は『ネプリーグ』で、総理の孫という“孫タレ”枠での出演だったよね。芸能界広しといえども、祖父が総理大臣という人はなかなかいないから。(笑)
宮澤 あれは、お芝居と歌がやりたくて芸能界に入った私が、タレントとして初めて出させていただいた番組でした。祖父の名前を出すことに迷いもありましたが、孫だったからこそあんな人気番組に出演できたんですもんね。いま振り返ると、なんて贅沢だったんだろうと思います。
DAIGO やっぱり最初は葛藤があるよね。僕もずっとロックバンド一筋でやってきて、家とは無関係のところで何かを成し遂げたいと思っていたから。でも、30歳を過ぎたころに周囲から「家族なんだから隠さなくてもいいんじゃない?」って言われたことで吹っ切れたんだよね。実際、オープンにしたらバラエティ番組からオファーが来るようになって、テレビに出ることで自分の音楽を知ってもらうことができた。本当におじいちゃんには感謝しかないよ。
宮澤 私もです。タレント活動をしていなければ、宮本亞門さんに声をかけていただいてミュージカルのオーディションに参加することもなかったと思うので……。
DAIGO きっかけは何であれ、次の仕事につなげられるかどうかは自分次第だからね。いまエマちゃんが舞台で活躍できているのは、エマちゃん自身の才能であり、努力した結果だと思いますよ。(一部抜粋)
[読みもの]
〈カラーグラビア 家族が優先順位の1位です〉
17歳で突然の家出ーー。 退路を断って今がある
志尊淳
デビューして今年の7月で9年、養成所に入所した時から数えると10年になります。中学時代までは野球に夢中で、芸能界なんて考えたこともありませんでした。それが中学3年の終わりくらいに、原宿や渋谷を歩いていると芸能事務所からのスカウトを1回、2回と受けるようになって。それでもまだ選択肢としては考えられなかったのですが、いただく名刺が10枚、20枚と増えていくなかで、「もしかして可能性があるのかな?」と思うようになったんです。
ただ当時は、「芸能界は怖い」というイメージしかなくて(笑)、どんなところか知るために、習い事感覚で養成所に入りました。ところが、僕は何かを始めるととことん探求したくなってしまう性格で。まずは養成所の発表会で一番を目指しました。一番になれたら、「オーディション受けてきて」と言われ、合格したのがミュージカル『テニスの王子様』(以下、『テニミュ』)。15~16歳の頃です。
受かったものの、当然ながら右も左もわかりません。稽古場では、周りは役者として経験を積んだ人たちばかりで差は歴然。死に物狂いで頑張りましたけど、毎日が試練で、芝居が楽しいと思えるまでには本当に時間がかかりました。
当時は朝、スーパーでレジのバイトをしてから高校に行き、授業が終わるとすぐに稽古場に通う毎日でした。夜、帰宅して学校の宿題をした後は、家の前の路地で、イヤフォンで音楽を聴きながらダンスの練習。『テニミュ』はラケットを振り回すシーンが多くて、室内では練習できなかったんですよね。(笑)
他にも、
〈5000曲の名曲は 百数十通のラブレターから生まれた〉
朝ドラ『エール』の モデル古関裕而・ 金子夫妻の素顔とは
古関正裕
〈38度線を挟んだ「泣けて、笑える」一途な恋物語〉
中瀬ゆかり×古市憲寿
『愛の不時着』、ココに 私たち熱狂しています
〈復帰は「夢」ではなく「予定」だった〉
柳浩太郎
高次脳機能障害とともに 舞台の世界で生きると決めて
〈大切なのは、「死なないための診療の流れ」を作ること〉
坂本史衣
新型コロナウイルスの院内感染を チームで防ぐ
などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!