2021年3月23日号
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[特集]
「立つ」「眠る」「食べる」を見直して
疲れない体になるヒント

外出をしない生活が続いて運動不足なのに、家の中での雑事は増える一方。体ばかりか心もくたびれて、疲れはさらに溜まっていくようです。さあ、毎日の生活習慣を見直して、ラクに動かせる、軽やかな体を取り戻しましょう。今日から自宅ですぐ始められるアイディアをお届けします

●注目記事●

〈あらゆる疲れの原因は"脳"にあり〉
毎日リセットしないと老化が進むって本当ですか?
梶本修身×松本明子

そもそも私たちが日常的に感じている“疲れ”の正体は何でしょうか。不規則な仕事や子育て、親の介護に追われ、いつも体の不調に悩まされていたという松本明子さんが、疲労研究の第一人者である梶本修身さんに聞きました

松本 「いつも元気だね」と言われる私ですが、50代半ばにもなるとさすがに疲れを感じることも多くて。今日は先生に、いろいろと教えていただきたいと思って来ました。

梶本 体調としては、これまでどんな悩みがありましたか。

松本 小さいときからずっと悩んできたのが便秘です。40代半ばにテレビの企画で便秘外来に通って改善するまでは、週に1回くらいしかお通じがありませんでした。その頃は肩こりや頭痛、冷え性、肌荒れやアレルギーにも悩まされて——ひどい状態でしたね。

梶本 そうした症状は、すべて「自律神経の疲れ」として説明がつきます。疲労は「体の疲れ」だと思っている方が多いのですが、実は脳にある自律神経が大きく影響しているんですよ。特に消化器系に症状が表れやすい傾向があります。

松本 そういえば! 治療を始める前の検査で、交感神経と副交感神経のバランスが悪かったことがわかりました。交感神経の数値が高すぎて、「これでは車のアクセル全開で急カーブを曲がるようなものですよ」と主治医の先生に言われたのを覚えています。この自律神経って、一体何でしょうか。言葉はよく聞きますが、実際詳しく知らなくて。
(一部抜粋)

他にも、槇村さとる​さんのインタビュー「病のトンネルをくぐり抜け、社交ダンスで大逆転由美かおるさんの健康法「呼吸法、アコーディオン、母ゆずりの献立で毎日しなやか」、日本最高齢のフィットネスインストラクター瀧島未香さんのインタビュー「90歳、運動を始めるのに遅すぎることはありません」、専門家によるノウハウ「「食べる漢方」で毎日おいしく養生を」などが掲載されています。
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[第二特集]
東日本大震災から 10年、未来へ

3月11日、東日本大震災の発生から10年を迎えます。津波や原発事故などかつてない被害をもたらし、多くの命や暮らしが奪われました。大震災を経験して、その後の生き方を大きく変えた人たちのあの日からの歩みをたどります

●注目記事●

〈福島・南相馬で600人の声を聞き取った〉
時は過ぎない。「かかわり続ける」と覚悟を決めて
柳美里

震災直後から、被災地に通い始めた作家の柳美里さん。6年前には神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市に居を移し、さらに3年前にはブックカフェもオープンした。南相馬と深くかかわりあってきたこの10年は、柳さんにとってどんな日々だったのだろう

2011年4月21日、当時の枝野幸男官房長官が福島第一原子力発電所20キロ圏内を警戒区域とし、立ち入りを禁止・制限すると発表しました。そのニュースを聞いた時、私の中では福島県の田子倉集落と何かが重なったのです。

私の母は福島県南会津郡只見町というところで中学・高校時代を過ごしました。福島県は太平洋に面した浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に囲まれた中通り、その西で新潟県に面した会津に分かれています。母が暮らしていた会津の只見は日本屈指の豪雪地帯。近くには田子倉ダム、奥只見ダム、只見ダムがあり、作った電力を首都圏に送り、高度成長期の日本を下支えしてきました。

浜通りに位置する双葉郡には原子力発電所が並び、原発銀座と呼ばれていました。そして新潟県境寄りはダム銀座。発電方法は違いますが、どちらも福島県の過疎地域で、東京に送電しているという構造が同じです。

小さい頃、母は同窓会があると私たち子どもを連れて只見に行き、ダム湖に沈んだ田子倉集落の話をしてくれました。湖を指さして、「あそこにお寺があって、川が流れていて……」と、すごく詳細で。「でもあまり水に近づくと悲しくなる。遠くから見ないと悲しみに引っ張られてしまう」という母の言葉が忘れられません。

同じ福島にあってダムの底に沈んだ集落は行って歩くことができないけれど、原発事故の警戒区域は閉ざされる前だったら歩いてみることができる。ニュースを聞いた瞬間、そんな思いが噴き出したのです。発表が21日午前中で、22日の0時をもって閉ざすということなので、ぼやぼやしている時間はありません。取るものも取りあえず、鎌倉の家を飛び出しました。(一部抜粋)

他にも、「〈被災経験からアドバイスします〉もしもの時の心得10ヵ条」「石巻市、あの日の記憶。悲しみを肯定できるまで」「明日に向けて歩き出した被災地の子どもたち」が掲載されています。
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[読みもの]

〈体の声を聞きながら、主演に復帰〉
今井翼
人との絆以上に 大切なものはない

10代前半から芸能界で活躍してきた今井翼さん。2018年3月より活動を休止していましたが、20年から少しずつ芸能活動を再開。この4月の舞台で久々に主演を務めます。休養中のこと、そして舞台への意気込みは――

14歳で芸能界に足を踏み入れて25年。これまで多くの人と出会い、得難い経験をし、数えきれないくらいたくさんの“夢”を見てきました。活動の途中で病を得て、2020年1月頃まで休養のための時間をいただいていました。

その間、期待や不安もありましたが、周囲の皆さんの理解と協力のおかげで、2020年2月の第十回システィーナ歌舞伎『NOBUNAGA』で舞台に復帰させていただきました。振り返れば20年は、「おかげさま」の一言に尽きる年だったような気がします。

自分を休ませることは、自分自身と向き合うことでもありました。病の経験を経て、あらためて「この世界で頑張りたい」という気持ちを再確認できましたし、すべては健康あってのもの。今は、調子がいいからといって張り切りすぎず、体の声を聞きながらやっていくほうが、自分本来のパフォーマンスを発揮できると考えています。

療養中は、たくさんの方から励ましの言葉をいただきました。
(一部抜粋)

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〈宝塚 すみれ色の未来へ 特別篇〉
サヨナラショー&退団記者会見 
望海風斗 雪組
熱情で走り切った音楽の申し子

「宝塚 is my Life.」今までも、これからも——。音楽の神様に魅入られた雪組トップスター、が2月8日、退団公演の千秋楽を迎え、宝塚大劇場に別れを告げた。演目はミュージカル『fff—フォルティッシッシモ~歓喜に歌え!~』と、ショー『シルクロード~盗賊と宝石~』。望海は『fff』で不滅の音楽家、ベートーヴェンとして生き、聴力をなくしてもなお音楽の可能性を探求する。クライマックスでは「もっと大きく!」と全身でタクトを振り上げ、劇場を歓喜の音色に染め上げた。

他にも、

〈小説家と俳優の文章がたり〉
鈴木保奈美×三浦しをん
アイデアはいっぱい作ってあっさり捨てる

〈コメディエンヌの第二幕〉
紅ゆずる
宝塚を卒業。「笑い」と「人情」を演じたい

〈性的少数者が安らげるお寺を作りたくて〉
男性新聞記者だった私が尼さんになった理由
柴谷宗叔

清水ミチコの三人寄れば無礼講
ゲスト 齋藤孝&為末大

などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!

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