手で見るいのち
ある不思議な授業の力

著◎柳楽未来
岩波書店 1500円

見える子どもたちへの授業より
何歩か先を行っている

目の見えない生徒たちは、こんな授業を受けていた。生物は目の見えない子たちに教えるのが難しい教科だが、工夫を重ねたその授業は、見える子どもたちへの授業より何歩か先を行っているようにも思える。

子どもは、動物園に行ったり野生動物の映像を見たりして動物を理解する。でも見えない子たちは、触れなければ動物の姿がわからない。ならば骨格標本を触らせてみようという、ユニークな授業だ。新聞記者としてその授業に併走した著者の現場リポートは、常識がくつがえされる痛快さに溢れている。

目の見える人が骨を触っても、たいしたことはわからない。でも見えない人は、点字などで繊細な触覚をきたえている。その優れた指先で触れば、ひとつの頭蓋骨から多くのことが読み取れる。たとえば、牙が実用的かどうか(狩りに堪えるか)は、頭蓋骨にどれだけ深く埋まっているかでわかる。われわれは、牙が露出している部分の長さに気をとられるが、大事なのは埋まっている部分なのだ。

こうした授業をつうじて生物学への興味を育てた子どもたちの進学についても、ていねいな取材が光る。見えない生徒が大学の理系学部に進学するのは容易ではない(実験器具の危険性など、困難が多い)が、熱意をもって受け入れる学校もある。受け入れを決断して「ほんとうに得をした」と語る先生や周囲の学生は、自分たちとは異なるアプローチで問題に取り組む学生の存在を、けっして「お荷物」とは感じなかったのだろう。科学とは、未知に接するやり方を学ぶことだからだ。

「見えないなりに」努力するのではなく、「見えないからこそ」の能力を発揮する。その考え方がすばらしい。