人間界の諸相

著◎木下古栗
集英社 1500円

読んだら最後、もう
世界を元通りには見られない

今、日本の文芸界で、もっとも破壊力がある作家は間違いなく木下古栗(ふるくり)です。

ボクササイズで汗を流し、国際情勢に造詣を深め、レプリカの頭蓋骨を叩きながら呪術的な歌を口ずさみ、おめかしをしてワインバーに立ち寄る看護師の菱野時江(ひしの・ときえ)。友人の渋崎咲子(しぶさき・さきこ)、古河内栗美(ふるこうち・くりみ)とともに鶏に扮して焼き鳥屋に乗りこむ時江。「剃りマンジャロ─かくも美麗なる恥丘─」と題した初の写真展を開催する時江。宇宙人が地球を乗っ取る陰謀説を信じる、引退したバラク・オバマと、カフェ・ベローチェでお茶をする時江。飲み過ぎた翌日、「字味に富むものでも摂取するか......」と活字市場に繰り出して、卑猥語を買いあさり、その一部を包丁で切り出して見事な海鮮料理を作る時江。牛乳寒天専門店を開き、経営に行き詰まる時江。

こうした暗黒のワンダーウーマンたる時江の常軌を逸した所業を記す短い物語の合間に、会議室で真っ裸になって原稿を読む集英社の若手文芸編集者・稲松叶夢(いなまつ・とむ)をはじめとする男たちの行状にまつわるエピソードをはさんだのが、『人間界の諸相』という一冊なのですが─。

この連作短篇集を読んでも、古栗が考える“人間界の諸相”なんて、わかりっこありません。でも、古栗が自分の脳味噌から引っ張り出してくるこうした物語に、わたしは毎回「わからない」と呟きながらも魅了されてしまうんです。わからないがゆえに痛快で、何度読み返しても新鮮に面白い。そういう小説だって、この世界には存在するんです。古栗のブラックホールに吸い込まれて、フルクリストになってしまったが最後、世界をもう元通りには見られなくなってしまう。そんな破壊力がこの作家にはあるんです。