出しっぱなしが健康によい

以前、実家の近くの米屋に寄ったらお茶を飲んでいけと言われ、あがらせてもらった。店からすぐの間はテーブル以外に何も置かれていない。奥まで見渡せる広い家で8畳間が2つ見えた。開け放してあるだけあってタンス以外、畳の上に何もない。「きれいだなあ」と感激した。

しかし「こんな家のお嫁さんでなくてよかった」とも思った。とてもやっていけないだろう。その足で実家へ行き、当時まだ生きていた母に「すごいよ、あそこの家は……」と話をした。母は「そうかい」と気にもとめない。それもそのはず、母も捨てられない人だったっけ。

母の没後に片づけをしていたら、お嫁に来てから買った服を一枚も捨てていないのでは、と思うほど膨大な量の古着があった。つぎはぎだらけのズボン下、セーターの袖を切り取って作ったようなベストなど、いろいろなモノが押入れから出てきたものだ。やはり戦争を経験しているので、物資がない苦しさを味わったんだなとしみじみ思う。

かくいう私だが、子供のころは毎朝自分の布団は畳んで押入れに入れ、学校へ行った。高校時代まではどんなに時間がなくても毎日、押入れに布団を放り込んでいた。だが、大学に入って下宿して以来、その生活は一変する。

というのも、ある日曜の午後、友人の下宿に行くと布団がしかれたままだった。押入れにしまうと湿気がこもる、出しっぱなしが健康によいと言う。

さらに、ほかの女友だちのところへ行くとそちらも万年床。しかも寝床の周りに、文庫本、碁盤と碁石、大きな真っ赤なうちわがあった。風呂上がりに布団に寝転び、うちわであおぐと「ものすごく気持ちいい」のだそうだ。この気持ちよさは、うちわがすぐに取れるところにあるからこそ。碁盤だってわざわざしまってあるところから取り出していると、その間にひらめきがしぼむ、と。なるほどね。