失恋よりも楽チンを選んで
それからというもの、私も万年床の周りに着るものや本、スタンドなどを並べ始めた。瞬く間に積みあがって掃除が大変だ。掃除機はなかったので、布団は掛け布団を挟んだまま柏餅よろしく2つに折って押入れに入れて、箒でちりを取る。1週間ごとにはやろうと思いつつ、次第に2週間、3週間となっていった。
ところがある日、思いを寄せていた哲学科の男子学生が突然、私の部屋の前に現れた。扉を開けずに「ちょっと待って」と言いおいて、畳の上に落ちていた洗濯前の下着や服、布団などを押入れにしまいこむ。その日は楽しくお話などして彼は帰ったが、事件は次の訪問のときに起きる。
その日、彼は予告してから来た。あらかじめ布団は柏餅にして押入れに放り込み、毎日脱ぎ捨てていた下着や服やパジャマもやはり同じように投げ入れた。一応掃除をして、お茶の用意も。彼は夕飯を買ってやってきた。緊張しながら、そして一抹の不安を覚えながら夜は更けていく。
10時ごろ彼が「泊まっていっていいかな」と言った。ふと、押入れを開けたときのことが頭をよぎる。困った、見られたら恥ずかしい。開けたとたん、どっと雪崩を打ったように落ちてくるだろう。あの下着類も。冗談じゃない、幻滅されるだけだ。
とっさに「またね」と言ってしまった。しゅんとなって帰っていった彼は、それから2度と来なかった。しばらくして、彼のところに1年下の女子が通っているという話を聞いた。
失恋の痛手に傷ついても、楽チンが身についたら、なかなか懲りないものだ。数年後に、なんとか旦那さんを見つけて結婚はしたが、いまも変わらず万年床。夫にも「押入れにしまうと、湿気がこもって体に悪い」と説明し、納得してもらっているのである。
五木寛之さんも言っている、「汚い部屋は生きる力」と。このまま死んで他人に部屋を見られたらあまりにも恥ずかしいので、死ぬに死ねない、のだそう。私は長生きできるに違いない。