政治の言葉・文学の言葉
栗原 時代の寵児として多岐にわたる活動をしながらブレずにいられたのは、中森明夫さんのインタビュー(『文學界』2014年3月号)でおっしゃっていたように、自分はあくまで作家だという意識を持ち続けていたから、ということですよね。
豊崎 でも、そのせいで政治の場面での失言が飛び出したりするんじゃないですか? 政治を文学の言葉で語ってしまうから。
石原 おっしゃるとおりですな。
栗原 石原さんが政界に進出したのは68年。作家が政治家になるとまず書かなくなりますが、石原さんは現在にいたるまで作品を発表し続けている。政治家としての言葉と文学者としての言葉を、意識的に使い分けておられますか?
石原 うーん、どうかな。あまり意識してはいないかもしれない。
豊崎 作家・石原慎太郎と、政治家・石原慎太郎というヤヌスの双面がはっきりと分かれていなくて、時々、政治の場面で作家の顔が覗く。そんなときに発言が炎上しているんじゃないかと私は思うのですが。
石原 ははは(笑)。舌禍事件が起きてしまう原因というのは、まさにあなたの分析のとおりだと思う。でも一方で、文学の言葉で政治を語るというので、評価を得られたところがあるんじゃないかな、とも思います。
豊崎 それはたしかにありますよね。反感も買うけれど、支持者も得られる。でも、どうして政治の場面で思ったことをなんでも口に出してしまうのだろう、それは小説にお書きになればいいのにと、見ているとつい思ってしまうんです。たとえば東日本大震災についての「津波は天罰」という発言が取り沙汰されましたが、新聞なんかでは、その真意や文脈を無視したセンセーショナルな見出しをつけられてしまいます。それよりは、小説に考えを託して発表されたほうがいいのではないですか?
石原 そこが兼業の脆いところですね。僕は政治家になったことで、自分の作品には気の毒なことをしている気がしますよ。世の中には、有名な政治家が良い小説を書くということが許せない人間がいるからね。
栗原 たしかに、政界進出以降、石原さんの作品に対する書評、評論の数はがくっと減っていきます。
石原 ある程度、仕方のないことだけど、あまり美しいとは言えない政治の世界にいながら文学をやるというのが、疎ましく思われるんでしょうね、特に文壇からは。日本の社会はそういう点では狭量だと思います。