作家は失敗してもいい
豊崎 前回は、20代の頃から小説・映画・舞台の世界でさまざまな役割を担ってきたお話をうかがいました。ところで、石原さん以前に、芸能界や政治など多方面で活躍する作家は日本にいたんですか?
石原 いなかったでしょうね。僕も最初は不安があって、あるとき伊藤整さんに相談に行ったんです。
栗原 石原さんが一橋大学在学中に『一橋文藝』という学内同人誌を復刊されるとき、伊藤さんが出資してくれたというエピソードは有名ですよね。同誌に石原さんはデビュー作「灰色の教室」を発表して、当時『文學界』にあった「同人誌月評」で文芸評論家の浅見淵に激賞された。
石原 それで自信がついて、「太陽の季節」を書いたんです。だから、伊藤さんがいなかったら僕は作家として世に出ていなかった。信頼する恩人でもあるので、「自分で映画を撮ったり出演したりする依頼がきているんですけど、作家がそんなことをしてもいいのでしょうか?」と相談したの。すると伊藤さんは、「何を言うの、石原くん。君は今とってもおもしろいところにいるんだよ。何をやったっていい。失敗してもいいからやりなさい」と言うんです。「失敗してもいいんですか」と訊いたら、「失敗したら、その失敗を書けばいいじゃないか。君は小説家なんだから」と言ってくれた。いろんな人から忠告は受けたけれど、こんなしたたかなアドバイスをしてくれた人は、伊藤整さんだけでした。
栗原 伊藤さんがちょうどチャタレイ裁判の渦中にいた頃ですよね。
豊崎 石原さんは、終戦から10年目にあたる1955年にデビューし、世の中から“戦後消費社会の新しい価値観を体現する存在”と受け止められた。ご自身も著書のなかで、その役割を自認していたと述懐なさっていますね。と同時に、上の世代からは非常に強い反感や顰蹙を買い、批判も浴びてきたとも。しかし、器の大きな方からは、すごくかわいがられていたんですね。
石原 僕は意外とジジイキラーなんだよ(笑)。特に伊藤さんの存在には本当に感謝しているし、作家としても、日本において「文学者」という呼称がふさわしいのは、伊藤整ただ一人だと思っています。