左から豊崎由美さん、石原慎太郎さん、栗原裕一郎さん(撮影:川上尚見)
2022年2月に逝去された、東京都知事で作家の石原慎太郎さんの海への散骨式が、ゆかりのある神奈川県・葉山町沖で4月17日に行われました。享年89。石原さんは生前から海への散骨を希望していたとのことです。一橋大学在学中に書いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞。小説が映画化されると、弟の石原裕次郎さんの俳優デビューを後押しし、大スター誕生のきっかけも作りました。政治家としては、1999年には東京都知事選に当選し、4期13年を務めました。作家、政治家として常に第一線で活躍した石原さん。追悼の意を込めて、『石原慎太郎を読んでみた 入門版』(著:栗原裕一郎、豊崎由美/中公文庫)に収録されている評論家の栗原裕一郎さんと豊崎由美さんとの鼎談を一部編集して公開します。(構成=白坂微恵 撮影=川上尚見)

「弟・石原裕次郎とクラブへ通い、三島由紀夫と拳闘へ。文壇のアウトサイダーが語る青春時代」【鼎談】石原慎太郎を読んでみた〈前編〉からつづく

作家は失敗してもいい 

豊崎 前回は、20代の頃から小説・映画・舞台の世界でさまざまな役割を担ってきたお話をうかがいました。ところで、石原さん以前に、芸能界や政治など多方面で活躍する作家は日本にいたんですか?

石原 いなかったでしょうね。僕も最初は不安があって、あるとき伊藤整さんに相談に行ったんです。

栗原 石原さんが一橋大学在学中に『一橋文藝』という学内同人誌を復刊されるとき、伊藤さんが出資してくれたというエピソードは有名ですよね。同誌に石原さんはデビュー作「灰色の教室」を発表して、当時『文學界』にあった「同人誌月評」で文芸評論家の浅見淵に激賞された。

石原 それで自信がついて、「太陽の季節」を書いたんです。だから、伊藤さんがいなかったら僕は作家として世に出ていなかった。信頼する恩人でもあるので、「自分で映画を撮ったり出演したりする依頼がきているんですけど、作家がそんなことをしてもいいのでしょうか?」と相談したの。すると伊藤さんは、「何を言うの、石原くん。君は今とってもおもしろいところにいるんだよ。何をやったっていい。失敗してもいいからやりなさい」と言うんです。「失敗してもいいんですか」と訊いたら、「失敗したら、その失敗を書けばいいじゃないか。君は小説家なんだから」と言ってくれた。いろんな人から忠告は受けたけれど、こんなしたたかなアドバイスをしてくれた人は、伊藤整さんだけでした。

栗原 伊藤さんがちょうどチャタレイ裁判の渦中にいた頃ですよね。

豊崎 石原さんは、終戦から10年目にあたる1955年にデビューし、世の中から“戦後消費社会の新しい価値観を体現する存在”と受け止められた。ご自身も著書のなかで、その役割を自認していたと述懐なさっていますね。と同時に、上の世代からは非常に強い反感や顰蹙を買い、批判も浴びてきたとも。しかし、器の大きな方からは、すごくかわいがられていたんですね。

石原 僕は意外とジジイキラーなんだよ(笑)。特に伊藤さんの存在には本当に感謝しているし、作家としても、日本において「文学者」という呼称がふさわしいのは、伊藤整ただ一人だと思っています。