(イラスト:徳重千里)
時代とともに移り変わる宝くじ。昭和20年に「勝札」として始まった宝くじは、抽選を待たず敗戦を迎えたため「負札」の異名をとったとか。1枚10円で1等は10万円。当時、6坪の組み立て住宅が1500円で買えたというので、かなりの高額だったことが伺える。発売当初年間販売実績が3億円だった宝くじも、令和3年には8113億円に。約4割が収益として発売元の都道府県などに納められて公共事業に使われ、1.4%は社会貢献に充てられているという。そして、当選者に支払われるのは5割弱、その幸運に恵まれる人は一握りーー。当てたいものはいろいろあれど、望めば望むほど当たらないのが世の常。だからこそ、運を摑むために人は奮闘するのです。窪田早紀子さん(仮名・京都府・パート・49歳)の場合は…。

人生をかけた9万円で一発勝負に出て

当時、私がパート勤めをしていた大型スーパーの職員通用口の前には、小さな宝くじ売り場があった。ときどき、気の合うパート仲間と一緒に宝くじを買い、当たり番号を確認しあったりして楽しんだものだ。

ある日、ランダムに4つの数字を選ぶくじを、1枚買った。すると、1万円の大当たり。「やった! 当たった」と素直に大喜びした。今から15年くらい前のことだ。まさかその後、切羽詰まって人生をかけるほどの思いで宝くじを買う日が来るなんて、その時の私は知る由もなかった。

それから数年経った、春のお彼岸に近い日曜日。夫の実家近くにあるお墓にお参りに行くため電車に乗ろうとした時、夫が突然言った。「胸騒ぎがするから、会社に行ってくる」と。夫は出版社で編集の仕事をしていて、土日祝日も休みとは名ばかりで、出勤するのが普通。たとえ休めたとしても、持ち帰ってきた原稿を読んだり、調べ物をしたりと仕事漬けの日々を送っていた。

忙しいながらも充実しているようだったし、そんな夫を見ている私も十分に幸せだった。それなのに、夫の悪い予感は的中。夫は突然、職を辞することになってしまったのだ。

会社から戻った夫の説明によると、夫が担当していた本の執筆者が、ほかの本から無断で転載して原稿を仕上げていたことが発覚。そして、その事実に気づくことができなかった夫は責任をとることになったのだ。長年、身を粉にして働いてきた会社との別れは、拍子抜けするほどあっけなかった。