そんな義母が少し変だと感じ始めたのは、長女の死から4年後。次女が大学進学を機に家を出て、義父が他界した頃だったと思う。もの忘れがひどくなり、私がタイマーをかけておいた炊飯器にさらにお米を山盛り加えたり、隣家に干してある布団を自分の布団だと勘違いして取り込んだりするようになった。
そこで私たち夫婦の留守中はデイサービスに通ってもらうことにしたのだが、ヘルパーや施設のスタッフを見下すような物言いをするので、ほとほと困った。さらに、「ズボンは男の人がはくものだから、スカートでしか行かない」と施設指定の服装を断固拒否。しばらくすると徘徊も始まり、そのたびに夫と手分けして捜してまわるので毎日ヘトヘト。
挙句の果てに、親戚からは「あなたが家事を全部奪ったから認知症になった」と、理不尽な理由で責められた。なぜ、面倒を見ていない人からそんなことを言われなければいけないのかと、悲しくなった。
認知症は義母にとって心の救済だったのか
心身ともに追い詰められ途方に暮れたとき、助けてくれたのはケアマネジャーである。彼女は、「介護保険や施設はご家族を助けるためにあり、ひいてはそれが混乱したご本人を助けることになるんですよ」と言って、条件に合う施設を探すために奔走してくれたのだ。
どこも満員で難航したが、偶然空きが出たグループホームに入所できることになった。義父と長女が、天国から助け舟を出してくれたのかもしれない。認知症専門の施設だけあって対応が的確で、月日の流れとともに義母の混乱は落ち着いていった。そして入所して6年後、老衰で静かに息を引き取った。