あの毅然とした義母を変貌させる認知症とは、なんと残酷な病気だろうか。しかし義母が他界して数年後、義母の妹からこんなことを言われた。
「姉さんがあなたの娘さんのお葬式で涙を見せなかったから、冷たい人だと言う人もいたし、あなたたちの間にもわだかまりができたと思う。でも、わかってやってほしいの。私たちは小さい頃から、喜怒哀楽を人に見せるな、と育てられてきたから。どんなときでも人前で泣いてはいけないという信念が、涙を止めたんだと思う」。
それ以来、義母にとって認知症は心の救済になったのかもしれないと考えるようになった。
あれは義父の葬式の日。認知症の症状が出始めた頃だ。義母はハンカチで目頭を押さえていた。長年連れ添った伴侶を失ったのだからさすがの義母も悲しいのだろうと思っていたら、「あの子の葬式のときは涙が出なかったけど、なぜだか今頃泣けてきてね……」と言う。今さら泣いても長女には届かないのに、と無性に悲しくなったことは覚えている。
しかし晩年は、施設の音楽会や季節の行事などで義母が口元を緩めて微笑んでいる写真が増えていた。
「病を得て気づくことや学ぶことがあり、人生観が変わった」と話す人は多い。義母は認知症によってプライドという鎧を脱ぎ捨て、涙と笑顔を取り戻したのだろうか。
義母が亡くなる直前、私は「お義母さん、いたらない嫁でごめんね」とささやいた。すると彼女の目尻から、涙が一筋流れたのだ。その瞬間、義母を愛せなかったことを心から詫びた。
私は熱心な仏教徒ではないが、長女を失ったとき、人は輪廻転生し、修行のためにこの世に再び生を受けると知って救われた。義母は、どんな学びを与えられて生まれ変わるだろうか。