「屈従体験は小学校の時でたくさん」
中井さんの強さは弱さに裏うちされている。中井さんは「屈従体験は小学生の時でたくさんであり、最終的には屈従してしまう自分をその時に見てしまった」のである。
時は軍国主義の全盛期、読書する人が「文弱の徒」と蔑まれた時代のことだ。「自転車に乗れず、木登りができず、逆上がりはもちろんできず」、「中学校はたいてい、体育と面接で合格不合格をきめていた。体育がたいへん駄目であった私は小学校で終わる覚悟をしていた。つまり、お先真っ暗であった。私はその中でひたすら本を読んでいた。」この出口を奪われたような少年にいじめが襲いかかる。
天皇を起点に教師が権力を授けた「大日本少年団」の、腕っぷしの強い上級生にいじめぬかれた。少年は離人体験により耐えた。時に宿題をやってあげて難をのがれたことは、別の、より深い屈従となった。その彼を支えた一つは、命じられても誰も殴らなかったことだったという。力が弱くて殴れないことを見せて。
日本が戦争に敗北したのが小学6年生の時だったことは、中井少年をどんなに救ったことかわからない。とつぜん中学への明るい道が開かれた。ただし、少年は敗戦のショックで人々が一変していくのもみた。いじめっ子や軍国教師は卑屈な人間に変じた。
「屈従体験は小学校の時でたくさん」という言葉に、私は中井さんの覚悟を感ぜずにはいられない。その覚悟は優れた知性を媒介にしながら、医療も学問も社会もなるべく公平に見て接しようとする態度を支え続けた。