八ヶ岳倶楽部でインタビューに答えてくれた柳生博さん(撮影◎本社写真部)
2023年5月7日、NHKで『あの日 あのとき あの番組 過去の名作から、いまを見つめる』が放送。テーマは「ひたむきに愛するということ〜〈らんまん〉と牧野富太郎〜」。番組内で牧野の本から学んだという柳生博さんが牧野富太郎の業績と生涯を振り返ります。柳生さんの追悼記事を再配信します。

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俳優や司会者として活躍し、八ヶ岳でギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を創設、オーナーを務めていた柳生博さんが、4月16日、山梨県北杜市の自宅で亡くなっていたことがわかりました。85歳でした。柳生さんは息子の真吾さんを2015年に47歳という若さで亡くし、『婦人公論』2016年8月23日号で、当時の心境を語っています。

年間600本のテレビ番組、息子がいじめに…

柳生博さんは、息子の真吾さんと1989年にレストラン兼ギャラリー「八ヶ岳倶楽部」をオープンしてから、真吾さんが47歳で死去するまで、二人三脚で経営していました。

柳生さんが雑木林を作ろうと思い立ったきっかけは、真吾さんが小学生の時。当時年間600本のテレビ番組に出演するほどの忙しさで、何日も帰宅できないこともあり、家族となかなか会うこともできなかった時期に、真吾さんがいじめに遭ってしまったこと。上級生に『お前の親父、テレビで人殺してたな』と言われたことを息子に打ち明けられた柳生さんは、その当時の心境をこう語っています。

「もう、胸が押しつぶされそうになりました。けれど、うまい言葉をかけてやれなくて……。『父親としてどうしたらいいのだろう』『テレビの仕事をきっぱり辞めるべきか』といった戸惑いばかりが脳裏を駆け巡りました。ですがそのとき、祖父の顔がパッと浮かんだのです。僕は茨城の地主の家に生まれたのですが、祖父は僕に森や田んぼの作り方を教えてくれた師匠。僕が悩んでいると、いつも『野良仕事をしなさい』と促してくれました。実際、育ちすぎた木の枝を切ったり、雑草を刈ったりしていると、心が晴れていく。その感覚を鮮明に思い出したのです」

また、真吾さんが妻の有希子さんのお腹にいるとき、一緒に書いたノートの存在を思い出します。男の子なら柳生さん、女の子なら奥様のように育ってほしいと、それぞれの育ってきた環境を記録したそのノートを久々に見て「息子たちを理想どおりに育てられていない」ことに愕然。八ヶ岳で野良仕事をしようと決めたそうです。