そうして始まった高倉との生活で、私が大事にしていたのは食事です。当初、「僕は1日1食」と高倉が胸を張って言うのには驚きました。しかもすべて外食だと。「それは自信をもって言うことではありません」と返し、食事を1日2食、プラス軽めの1食と設定。高倉の好みを把握したうえで、献立を工夫しました。
そんなふうに、私は1日の多くをキッチンで過ごし、また高倉も出かける時、「今日の夕食は何?」と確認するのが毎日の習慣でした。
家に帰った高倉は、「今日はこんなことがあってね」と必ず伝えてくれました。私の意見もきちんと聞いてくれます。
「今、映画の新作は何があるの?」「これをどう思う?」と聞かれるのはしょっちゅう。何しろ「早いのが嬉しい」人ですから、「知らない」「調べるから、待ってください」はナシ。いつ何を問われても対応できるよう、私はあらゆることに備え、答えを用意しておかなくてはいけません。
ともかく、高倉の「ああしてほしい」「これはどうだ?」は愉快なほど次々ありました。高倉のリクエストに私はいつも「はい!」「やります」。基本、「ノー」はありません。軍隊ですね。(笑)
ある時、新しいスラックスの裾上げを「明日、はきたいから」と頼まれたことがありました。この時、高倉は全色を買い揃えてきたので、私の前には色違いの6本が。でもはけるのは1本ですよね。翌朝、いくつも揃っているなかから、その時の気分で選びたい。最大の自由は選べること。それが高倉です。
他にもしなければいけないことがあったので、この時だけは「私は魔法使いではないので」と切にお願いし、2色だけ選んでもらいました。
──そんな暮らしのなかで、小田さんは自身の仕事をしたい、あるいはほかの男性と一緒になりたい、などと思うことはなかったのだろうか。
その時の私の仕事が高倉の伴奏者です。私と高倉との関係は決して形式に囚われたものではありません。楽しい瞬間は家での日々の生活のなかにちりばめられていました。
高倉が笑顔で日々を過ごしてくれるのが私の幸せ。何より、映画俳優という職業にここまで人生をかけている人の言葉、振る舞いに触れ、高倉の周波数と呼応しながら共に生きることに、「素晴らしい時間を分けていただいている」という実感がありました。