同性婚にお一人様婚も!? 前代未聞の「結婚披露宴」小説
かつて神であった者が人となりうるように、人もまた神となりうる。今回の改元間際にリニューアルした文芸誌『文藝』に一挙掲載された本作は、「もとは人だが、今は神で」という書き出しが実に印象的だ。
この言葉で表される2人の元軍人(高堂伊太郎(こうどういたろう)と椚萬蔵(くぬぎばんぞう))がそれぞれ祀られる神社は、世俗の極みである結婚披露宴が日々行われる場でもある。高堂会館で派遣スタッフとして働く浜野とその同僚・梶は、結婚式や披露宴にまつわる一切は幻想だと知りつつ、その幻想維持に熱心に献身するという逆説を生きている。仕事のかたわら、発表のあてもなく脚本を書いている浜野は、新郎新婦を自身にとっての「神」とさえみなしている。
そんななか、高堂会館とライバル関係にある椚会館で、倉地という女性が改革派として台頭し、古式に則る椚の気風を残しつつ、高堂の合理的なシステムをも取り入れようとする。浜野と梶はかつて倉地と親しい仲だったが、椚からの攻勢は派遣労働者としての2人の身分を危うくしかねないものとなる。
この3人の複雑な人間関係が物語を推進する大きな力となっていく一方で、平成年間後半の十数年、とくに東日本大震災以後の社会変化がたくみに織り込まれる。LGBTに対する認識の変化に機敏に対応した高堂会館に、同性婚を超える「お一人様婚」を希望する女性がやってくるのだが、彼女の望む披露宴は果たしていかなるものか──。物語のクライマックスとなるこの場面には、作者の小説観と人間観がほのみえる気がする。
現代において「人は何を信じて生きるのか」という大きな問いを背景にもつ、前代未聞の破天荒な「結婚披露宴」小説の誕生を祝福したい。
著◎古谷田奈月
河出書房新社 1600円