私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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18 シイシイ

 高校は中学の時より大掃除の日が多く、もう傘立てなんかもきれいにされ尽くされてるけど、大掃除中に手を動かしていないことをどの担任も許さないので、私は渡された雑巾を最大限汚していくべく、汚いところを見つけようとする。汚れなんかは見慣れてしまえば汚れには見えないんだし、どう磨いたって、教室の何かが輝き出すことはない、どれも傷が入りそこにゴミが入り込んでる。窓拭きはもう人数足りてるから、やっぱり傘立てか、と思って廊下で下の皿を分解して、網の目を片手間で拭いていく。湯河ちゃんは黒板消しクリーナーを廊下で分解している。手を滑らせチョークの粉を撒き散らしたので、雑巾を手に駆け付ける。「頼りになるなー、椎名さん」と湯河ちゃんが言う。「私に呆れてるかと思ってました」「え?それ本気で言ってる?」と湯河ちゃんは何とも言えない顔、怒ってるといえるか、恐れの顔か、教師としてのプライドが傷ついたのか。私はすぐにそれに気づいて、幼い頃であれば気づかなかったのだろうから成長だ、他の子なら、相手がしたのがどんな顔かも言い当てられるんだろう、その前に、相手にこんな顔をさせないんだろう。
「嘘です。いじけた気分なだけです」と私は全部自分のせいであるという姿勢、言い訳というのは大抵、自分の中で起こったことを言葉にするしかないんだし。「呆れるとかないからね、そう思わしてたらごめん。そうなんだ。妹ちゃん?とちょっと、すれ違っちゃうって面談で言ってたもんね。私も妹いるから分かるよ。若い頃だったらカッコもつけちゃうしさ」と湯河ちゃんは言い、よく妹の話を覚えててくれたな、人のことを覚えていることが愛に直結、ほらこうして会話を覚えててもらえれば嬉しい。私なんかみたいに、どの人の話も前聞いたのは忘れてて、それでまたフレッシュな気分で始められるというわけでなく、大勢なら置いてけぼり、一対一ならじゃあこの話はもういいやと諦められ、それは呆れられるだろう。愛と記憶力には何の関係もないと言い張りたいが、私だって自分のことなら覚えてるんだから、愛と必要が、記憶を促すんだと知っている、私は人のは、覚えておく必要を感じてない、それで愛がない。
「カッコいい子って、絡んでみると変なダルさがないですか?」「そういう話?今、カッコいいを膨らましていく話?ダルさはみんなにあるんじゃない?カッコよさの中でそれが浮いちゃうから目立つだけで」「ああー。妹に喋りかけても、返ってこないですもん」「でも先輩後輩なら、その場に慣れてる先輩の方から、話しかけてあげなきゃ。どっちも黙っちゃったらそれまでなんだから」と湯河ちゃんは廊下の床のブツブツに入ってしまった粉を、丁寧に拭い取っている。「湯河先生は、良い姉っぽい」「そうだね、今はね。でも心底から良い姉っていないんじゃない、心底良い妹はいそうだけど。自分が姉だから謙遜、卑下してそう思うだけかな」と言い終えて湯河ちゃんは教室に戻る、私は傘立てに、一人の考えに戻る。
 何もかも見落とすのが私らしさというか、みんな飛んでくる情報を摑む握力が強過ぎないか。情報の授業の時と同じで、複雑な作業に目を泳がせるのなんて私くらいで、周りの子たちには正常な次の画面が浮き出て、私はできないままどんどん開いていきどれも置き去り。物事の成り立ちを摑むっていうのがすごく苦手で、時計の読み方もローマ字も、三人称ならsをつけるっていうのも、先生が一体いきなり何を言い出したんだか分からなかった。周りを窺って、みんなは動揺していない様子なのでいつも驚いた。新しい考え方というものが頭に入ってくるたび困惑し、なぜ一時間は百分じゃない、とそればかり考えている。理由や歴史を丁寧に説明されても頷くだけしかできないだろうに、世の成り立ちみたいなのを私の頭は受け入れないで拒み続ける。ふとした時に何のきっかけもなく受け入れる、その納得までの時間がなければ先に進めない、私は私の成長に合わせていくしかない。
 喋らなければ恥もかかない、私は恥ってそんなに感じないけど、感じるようになれば私に恥は多過ぎ、振り返って耐えられないんだろうから、恥の不感が私を守っているんだろう。え?今のどういうこと?が、会話の中で一番よく言うセリフかもしれない。これは相手の労力も盛り上がりも奪うので、最近そんなに言わないけど。分からないままで、会話はどんどん進んでいくけど。だから私はいつも大人数でいたい、二人は負担が大きい。この前ダユカにメイクしてあげた時は、二人の間にメイクという動作があったから、話なんか聞いてなくて、答えられなくて仕方ないの雰囲気でマシだったけど。みんなが笑ったことだって、解説されないと面白さも分からない、解説されても笑えないんだから、演技力だけがものをいう。
 学ぼうと、中学の途中で演劇部に入部もしてみたものだ、自分で考えて即興劇をしていく練習が続いて、こういうのは、自分の今まで獲得しながらきた感情を、上手く舞台上で出せるかどうかの話だと、上級者のやることだと気づいてすぐ退部した。感情が乏しい表現が貧しいと部員同士の講評で言われ続けて、だから入部したんじゃないですか、と叫んだら部長は、ここは修練の発露の場だよ、と答えた、他の部員はよく分からない、という顔を私に向けていた。中学入学の時、泳げないので泳ぎたいので水泳部に入部しましたと言った時も、同じような顔をされた、水泳部もすぐ辞めた。部活が入ってから才能に気づく場じゃなく、少しでも才能あるともう分かっている場に飛び込むだけのものなら、窮屈だ、仕事ならそういうものだろうけど。
 でもいろんな子と接しておくことが、人との接触の訓練なんだろう。こういう子にはこう、と学んでいって、そう何種類もないものだろうから、当てはめていくんだろう。人とのことを学んでいこう改善していこうという気持ちは、私の中でいつ減って消えるか分からない、歳取ればもっと萎んでいくかもしれない、どうせみんな分かり合ってはいないのだと、開き直るかもしれない。周りに人はいなくなっていって、もう合わせて笑う必要もないか、それなら楽か、周りなど必要ないと一度諦めれば、もう腰は重くて上がらないだろうから、それを恐れて今まだ立っているだけだ。自分の中だけならこんなに説明できるんだけど、と私は思い、でもこれを誰に言わなくてもいいんだもんなと俯く、もしくは上を見る。人には顎の角度だけで、感情を読み取られたりするんだもんな。愛なんかは演出だと、誰かが言ってた気がする。家族なんて一旦は好き合ったはずの仲なんだから、こちらからの演出があってもあちらに悪夢ってことはないだろう、今度妹にサプライズでもやってみようかなと思う。
 外のゴミ拾いの班だったダユカとウガトワが戻ってくる。私は屈んでいるのでみんなのスリッパが近くに見え、どれも同じくらいの時間履かれているから、同じくらいに汚れている。「シイシイまだやってる。もういいよ、傘立てのきれいの限界だよこれが」「これで終わりでいい?最近何も、自分で決め切れないんだよー、部屋の棚も買いたいのにずっと色んなとこの比べて、うろうろしてるの。買い物とかって決断力をつける修業なのかな」「すぐバチッと決めれるとカッコいいよね。経験がものを言うんじゃない、それって」とダユカが言う、ダユカなんかはメイクを、自分を変えられるという希望を持ち、やっている。「自分たちが、良い妹だと思う?」と聞いてみる。えー、思うー、と妹二人は答える。妹たちはこう、深刻に考えないでカッコつけないで、甘えちゃって、と私は私なりの、姉らしい顔をしてみせる。人に言われたので傘立ての掃除を終える。
「何か私の部屋の前に服の山あるんだけど」と妹が、リビングに来て私を睨む。「私の服で、似合うかなって服。整理したから捨てる前に、お下がりであげる、お姉ちゃんっぽく」「あのね、畳まないとシワッシワだよ服って」と妹は言って、自分の部屋に帰る。私はどんな感じか見たく、妹の横の自分の部屋に戻る足取りで行き様子を窺う、廊下で服を広げて、結構嬉しそうだとは思う。妹は少し時間が経ってドアを叩く、服を抱えてくる。「何枚かもらったから、ありがと。後のはいらない」と私の前に置いていってしまう。物をあげるなんていうのは、お姉ちゃんらしさの中でもしょうもない方だろう、姉じゃなくても誰でもできるようなものだから、と思いながら服をめくり、あれとあれを取ったのか、これも似合うと思うけどと広げ、でも部屋まで追いかけて差し出しても、うるさそうな顔をされるだけだろう。服は全てふんわりと畳まれており、それだけで何だか捨てるには惜しい雰囲気が出る、その形を保ったままにしようと優しく抱えて、引き出しに戻す。