田中美津(たなか・みつ)
1943年東京生まれ。60年代にベトナム反戦運動に参加。70年、「ぐるーぷ闘うおんな」を結成し、日本初のウーマン・リブのデモを主宰、運動を牽引した。75年、第1回世界女性会議出席のためメキシコへ。帰国後、治療院「れらはるせ」を営むかたわら、沖縄辺野古基地建設反対運動を続けた。著書に『いのちの女たちへ』『かけがえのない、大したことのない私』など
(写真提供◎松本路子)
〈発売中の『婦人公論』11月号から記事を先出し!〉
日本のウーマン・リブ運動は1970年、国際反戦デーで田中美津さんによってまかれたビラから始まったと言われる。そんな「リブのカリスマ」と呼ばれた田中さんが2024年8月7日、亡くなった。享年81。彼女に4年間密着し、ドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』(2019年公開)を撮った吉峯美和監督が、ありし日の田中さんを追想する

日本のウーマン・リブの伝説的リーダー

日本のウーマン・リブの伝説的リーダー、田中美津さんに初めて会ったのは2015年、戦後70年の女性解放史をたどる証言ドキュメンタリー番組のインタビューでだった。

「女性解放は大事だけれど、私の解放はもっと大事なのよ。女らしく生きるより、私を生きたい」。

1970年代に女自身の意識変革をめざしたリブ。多くの女性たちを揺り動かした、今も古びない言葉に魅了され、当時をまったく知らない世代の私が4年にわたって自主製作で彼女を追いかけることになった。

「カリスマ女闘士」のイメージが貼りついてきた美津さんだが、実は生まれつき虚弱体質で、しかも幼児期に受けた性虐待のトラウマを、70歳をすぎてもひきずっていた。

「5歳ぐらいの時に自分の世界が崩れた……なぜ私の頭にだけ石が落ちてきて、隣の女の子の頭じゃなかったんだ? この星は、私の星じゃない。だから私は守られてない、大事にされてないんだ」。

ずっと自己を否定せざるをえなかった、傷ついた少女の煩悶がドキュメンタリー映画のタイトルになった。