『猫を棄てる 父親について語るとき』著:村上春樹

淡々とした筆致で綴られていく父の生涯

数多くのエッセイも書いてきた村上春樹だけれど、その中で自分のルーツや家族について語ることはほとんどなかった。だから、『猫を棄てる 父親について語るとき』を発表した時には驚いた。というのも、春樹と父親の不仲は業界の噂話としては耳に入っていたものの、まさか本人がその真相を語るとは思っていなかったからだ。それは、なんだか、とても村上春樹らしくないと思ったのだ。

小学校の低学年だった頃、父親と一緒に海辺へ1匹の雌猫を棄てに行ったこと。帰宅後の親子を迎えた驚くような出来事。それをきっかけに、父親にまつわる記憶と春樹が調べたことが、数珠つなぎに引き出されていく。

大正6年12月1日に、京都の安養寺という浄土宗のお寺の次男として生まれた村上千秋。小さい頃、奈良のお寺に見習いの小僧として預けられたことがあり、18歳で西山専門学校で仏教を学んだのち、京都帝国大学文学部に入学。20歳の時に徴兵される。俳句が好きで数多くの句を残しており、中国大陸での戦争体験を語ることはほとんどなかった。戦後、大学院に進学するものの、結婚し、春樹が誕生したせいで学業を断念して就いた職業が国語教師。

といった父親の生涯が、まるで他人事のような淡々とした筆致で綴られていく中に、息子としての思いや、父親の期待を裏切っていたという学生時代の自身の肖像が顔をのぞかせる。が、しかし、90歳で亡くなる少し前に和解するまで、20年以上顔を合わせなかったという軋轢の核心が吐露されることはない。それを不満に思うか、受け入れるかは読者の自由。ちなみにわたしは後者だ。棺桶まで独り抱えていくべき気持ちは、誰にでもあるはずだから。

『猫を棄てる 父親について語るとき』
著◎村上春樹
文藝春秋 1200円