永井隆
ながい・たかし
医学者
明治41年(1908)2月3日~昭和26年(1951)。島根県松江市生まれ。松江中学校、松江高等学校卒業後、長崎医科大学(現・長崎大学医学部)に入学。1932年、同大学を卒業、助手として、放射線物理療法の研究に取り組む。34年6月受洗、霊名パウロ。同年、森山緑と結婚。一男二女をもうける。40年長崎医科大学助教授・物理的療法科部長に就任。45年6月白血病と診断され、余命3年の宣告を受ける。8月9日爆心地から700メートルの距離にある長崎医大の診療室にて被爆。病床にて『長崎の鐘』『この子を残して』などの作品を著わす。1951年永眠